半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第1期】未来のために

 これと言って何か明確な目的や目標を持ってカンボジアに渡航したわけではなかった。
だからこそ多くの場所に赴き、いろいろなものを見たり、いろんな人と出会うことができたと思う。そんな中で一番興味を持ったのは、内戦が終了してから約20年しか経過していないカンボジア国内の傷跡とその修復のために努力する人々の姿だった。

kojima_01.jpg 首都プノンペンの街中に1996年に建設されたシアヌーク病院。在福岡カンボジア名誉領事の半田晴久氏の支援する施設のひとつでもある。この病院は24時間無料診療を行っており、一日に350人以上の人を治療し、その数は年間10万人以上にも上っている。

 シアヌーク病院建設の背景として、カンボジア国内において医療行為を受けることができる人は少ないことがあげられる。それは、人口約1500万人の内の3分の1(500万人近く)の人々が1日を1ドル以下で生活しているが、平均寿命は62歳、HIV感染率は0.9%にもなり、病院に行かなければならない人は非常に多いが、お金がないので行けないという理由である。

kojima_02.jpg 実際にシアヌーク病院の医師に多くのことを尋ねてみた。この病院の運営は、世界中から集められた寄付金だけで成り立っているという。しかし、その寄付金だけでは、医療機器や医薬品などを十分に供給できていないのが現状である。そしてカンボジア国内において最も不足しているものは間違いなく人材である。20年近い内戦の間に多くの知識階級の人々が虐殺された。医師もその例外ではなかったため、内戦終了時にプノンペンで生き延びていた医師はたったの2人と言われています。そこで、シアヌーク病院では患者を診療するだけでなく、次世代の医療従事者の育成も行っている。

kojima_03.jpg 病院内で一番興味を持ったのはもちろん薬剤部だった。 一見したところは日本の大学病院と遜色のないようにも思えたが、面積が非常に狭かった。調剤薬局とさほど変わらない広さであり、陳列されている医薬品の種類も乏しかった。同じ薬でも含有される成分の量が数種類置いてあるのが先進国では普通であるが、シアヌーク病院の薬剤部では1種類しかないものが多く、小児は1錠の薬を分割して飲まなければならないこともあるという。

 現在はまだまだ多くの面で問題を抱えるシアヌーク病院だが、将来に渡り、多くの人を救い続けることは間違いなく、私も国は違えど、将来多くの人の助けになれたらと決意を新たにした。

kojima_04.jpg カンボジアと聞いて、日本人が最初に思いつくものはほぼ間違いなく地雷であるだろう。

 実際にそれは間違いではないかもしれないが、間違いであるとも言える。現在、カンボジアに埋められている地雷の数は400~600万個とも言われているが、一説によると2000万個を超えるとも言われている。ただしそれは、カンボジアの地方、タイやベトナムとの国境沿いに多いのであり、都市部の道はずれなどに埋まっているわけではないが、毎日地雷の被害者が発生している。

 それにはいくつかの理由があり、まず、識字率の低さがあげられる。現在の子供たちの多くは普通教育を受けられるようになっており、識字率は高い。しかし、中には貧困などが原因で学校に行く機会を無くしている子供もいる。また、ポル・ポト政権時代に教育を受けることができなかった世代の識字率の低さが大きな原因である。

 また、地雷や不発弾を生活のために利用していることがあげられる。不発弾は川に投げ込んで爆発させることで、周辺の魚を気絶させ、簡単に漁ができる。しかし、知識のある人が扱っても危険なものを、安易に持ち運んだり、家に貯蔵することで、本人だけでなく家族などが被害に遭うことがある。また、地雷や不発弾を国内や隣国に売るときに被害に遭うケースもある。

 地雷や不発弾の被害に遭った人々をサポートする施設としてカンボジアトラストやハンディキャップインターナショナルがある。これらの施設は主に外国の支援により行われている。

kojima_06.jpg カンボジアトラストはプノンペン郊外に位置し、義肢の製作だけではなく、義肢装具士の育成も行っていた。施設の規模は非常に大きく、日本で見学した義肢製作所の10倍以上の広さとなっていた。義肢製作の工程は日本の方法とまったく変わらずに、違うところは人間で言う骨にあたる部分がカンボジアでは安価な素材で作られていることと、人間で言う筋肉や皮膚にあたる部分のスポンジが、カンボジアでは固めであり、色が日本よりも茶色に近い色になっていた。その国の気候や人種、予算に合わせて義肢は製作しているということだった。

kojima_07.jpg ハンディキャップインターナショナルはシェムリアップの街中に位置し、病院と併設されていた。この施設では、外国の支援が始まる前の義肢についての話を伺った。足の切断部を入れる部分をソケットと呼び、現在ではこの部分は合成樹脂などを使用して、それぞれの患者にオーダーメイドで作られている。しかし、ほんの20年程前にはその部分を不発弾の外側を利用していたのだという。

kojima_08.jpg 私も原因は違えど義足を使用しているが、この話を聞いたときには驚きを隠せなかった。不発弾の外側は主に鉄でできており、湿度も気温も高いカンボジアでは錆び付きすぐにボロボロになるだけでなく、傷口などができてしまう危険性、そこから感染する危険など、考えたらきりがなかった。しかし、よく考えてみると自分たちの周りにあるもので作り上げた点、通気性の良い蜂の巣状に穴の空いた不発弾を利用した点などは素晴らしいものがある。どんな状況だとしても少しでもいいものを作ろうとすることの大切さを目の当たりにした。

kojima_09.jpg kojima_10.jpg kojima_11.jpg 内戦の傷はいろいろな所で治癒へと向かっていた。病院や義肢製作所だけでなく、カンボジア大学や未来の光孤児院などでも次世代を担う多くの人材が育っており、その動きは大きくなっている。

 そんな中でも、決してトゥールスレンやキリングフィールドでの出来事は二度と繰り返したくないという感情が、どのカンボジア方と会話をしても感じられた。言葉は違っても、戦争の過去を抱えており、そのことを忘れないようにしようという思いは同じだった。

 訪れたすべての場所が忘れられない。そんな風に感じることができたのは初めてだった。カンボジアの未来のために努力する人々を目の当たりにして、私は自分自身の未来のことをもう一度深く考える機会を得ることができた。


福岡大学 古嶋 研史

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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