半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第3期】音楽を通して交流

 2011年3月14日、私にとって初めての海外に期待と不安を胸に出発した。音楽を通して心を通わせ、医療の現場を見る。これが今回、私がカンボジアを訪問する目的であった。

 まず私は、シェムリアップというアンコールワットで有名な都市を訪れた。まず訪れたのはアンコールワットである。世界史の教科書で見ていた景色を自分の目で見て、とても感動した。アンコールワットは外国人観光客で賑わっており、敷地内にはゴミ等が落ちていることもなく、私が想像していたカンボジアのイメージとは全く違い驚いた。しかし、他の遺跡も回っていくうちに、たくさんの物売りの子供達に出会った。想像通り、彼らはボロボロの服を着て、靴も履いていない。舗装されていない石ころだらけの道を歩き回り、必死に物を売っていた。私はその中でもひと際小さい6歳位の女の子に話しかけた。話を聞いてみると、その子は学校にも行けず、家族のために毎日朝早くからポストカードを売っているそうだ。私が6歳の頃は、両親に甘え、好きなものを食べ、好きな事をし、一日中遊ぶ事を考えていた。そんな自分を思い出し、とても恥ずかしくなった。同じ6歳でも生まれた環境が違うだけでこんなにも違う。その子に「今いちばんしたいことは何か」と聞くと、「勉強」と答えた。日本の子供達に同じ質問をして、勉強と答える子はどの位いるだろうか。自分達がどれだけ恵まれているか知るべきだと痛感した。

 次の日から私は、スナダイクマエという孤児院を訪問した。ここでは約30人の孤児が生活していた。私はここで「アラピヤ」という、カンボジアの有名な曲を教えさせてもらった。小さい子はカスタネット、大きい子はリコーダーを演奏した。英語を話せる子はあまりいず、最初はどうやってコミュニケーションをとったらいいか戸惑った。しかし、私がリコーダーを吹いてみせると、みんな真似をし、上手く吹けないととても悔しそうにし、必死で練習していた。多少のリコーダー経験があったとはいえ、1時間でみんな曲を覚え、楽譜を見ずに吹けるようになっていたのにはとても驚いた。ここで感じたことは、音楽は人の心と心を通わすということである。子供達とまともな会話はしていないが、1時間一緒に練習していくうちに、心は通い合っていて、ずっと前から知っているかのように仲良くなっていた。

 私が次に訪れたのはシェムリアップからバスで4時間程の場所にある、バッタンバンという都市である。ここには観光客はほとんどいず、現地の人の家が建ち並んでおり、カンボジア人の生活を知るには最適な場所であった。散歩をしていると子供達は「ハロー」と挨拶をしてくれ、お店に入ってごはんを食べていると店員が気さくに話しかけてくれ、カンボジア人の温かさを感じた。バッタンバンでは約2週間、毎日「ノリヤ孤児院」という孤児院に通った。この孤児院はお寺の中にあり、お坊さんが1人で約80人の子供を預かっていた。訪れる前は仲良くなれるかどうか心配だったが、実際に訪れてみると子供達が「シスター!」と駆け寄って来てくれた。そして5分後にはみんなで鬼ごっこをして遊んでいた。みんなとても人懐こく、いつもニコニコしていて、大きい子が小さい子の面倒を見て、いくら自分が疲れていようと病気であろうと、私が何かをしていたら必ず手伝ってくれた。ここでは、色々な遊びを考えて遊んだり、木に登って木の実を取って食べたり、みんなでダンボールと糸だけを使って布を作ったり、日本語を教えたり、往復3時間かけて畑にもみ殻を届けたり、畑を耕したり、牛糞まみれになりながら肥料を作ったりなど色々な経験をすることができた。

 また、みんなで千羽鶴を折り、日本の東日本大震災の被災地に送った。そしてみんなでお祈りをし、日本語で日本の歌を歌った。カンボジアに来て、改めて日本のことを考え、日本について色々と勉強した。きっと日本にいたら、このような機会はなかっただろう。ノリヤ孤児院では月に1度誕生日会が開かれ、その時だけは子供達はお腹一杯ごはんを食べることが出来る。私が行った時はみんなで大きな鍋にカレーを作り、女の子も男の子も何杯もおかわりをし、お腹を膨らませ、笑っていた。私はいつも子供達の無邪気な笑顔に心打たれていた。

yanagi_01.jpg 最後に私が訪れたのはカンボジアの首都、プノンペンである。たくさんのビルが建ち並び、一晩中街燈がついていた。道路はいつも車やバイクで混雑していて、車はレクサスなど高級車ばかりで、今までの場所とは比べものにならないくらい発達していた。プノンペンでは「愛センター」というフリースクールを訪問した。ここでは午前と午後の部それぞれ3クラスずつあり、屋根だけついた教室で子供達が勉強していて、私は日本語を教えたり、音楽の授業をしたりした。子供達はボロボロのノートと短い鉛筆を持って授業を真剣に受け、授業の間の10分休みは走り回って一生懸命遊ぶ。

yanagi_02.jpg 日本の教育は先生が主体でカリキュラムに追われ、1人1人わかっているのか確認することなくどんどん授業を進める。生徒は疑問に思ったことがあっても聞くことなく、受動的に授業を受ける。しかし、カンボジアの教育は、1人1人できているか確認し、みんなができるまで何度も教える。生徒はわからないところがあったらどんどん質問し、発表の際はみんな手を挙げ、間違っていても堂々と発表する。カンボジアの子供達は学ぶということに対してとても意欲的である。

私は最後の授業で小学校1年生から4年生位までの子供達に夢は何か聞いた。最も多かったのは警察官で次いで医者、他には教師、タクシー運転手、消防士が多かった。日本で多い、サッカー選手やプロ野球選手、ゲームクリエーター、漫画家、歌手などの夢をもつ子供は全くいなかった。

 また、私はカンボジアでいくつかの病院を訪問した。ある病院では病室や手術を見学させてもらったが、日本と比べると、医療技術はまだまだ発達していず、衛生面にも問題があるように思えた。しかし、その病院はカンボジアの中では大きな病院で、医療費が無料ということから、地方からたくさんの患者が来て、病院の前で待っていた。私は、カンボジアに必要なものは何よりもまず医療の発達ではないかと思った。医療の発達なくしては、国は発展しないと思う。しかし、現地の医者の話を聞くと、カンボジアには医師になれる大学が1つしかなく、裕福な人しか入ることが出来ず、医者になってもスキルを上げるため多くの人が海外に行ってしまう、ということがわかった。また、カンボジアの人々はあまり医者を信用していず、お金のある人はバンコクやベトナムの病院へ行き、お金のない人は病気になると薬局へ行き薬を飲んで治そうとするそうだ。これでは、いくら経っても医療が発達することはない。国をあげて医療の発達に力を注ぐべきだと感じた。また、それと同時に日本など医療先進国も力を貸すべきだと思った。

 私がカンボジアに出発したのは東日本大震災の直後で、至る所で日本の為のセレモニーや義援活動が行われていた。日本の為に必死で祈ってくれる人々や小さな子供がなけなしのお金を募金しているのを見て、カンボジア人の温かさに感動した。また、カンボジアを訪れ、日本での自分はどれだけ恵まれていたのかという事に気付いた。家があり、学校に行き、お腹一杯ご飯を食べ、布団で寝る・・・・それがどれだけ幸せなことか、日本にいては気付けなかった。カンボジアでの生活は、物の不自由さはあったが、生きていく上での物足りなさは全くなかった。むしろ十分であった。カンボジアには日本にはないものがたくさんあった。


九州大学医学部 柳原 歌代子

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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