半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第9期】カンボジアの未来

<はじめに>

 来年7月に総選挙を控え、国内政治が活発なカンボジア王国。そして現在、政治における「カンボジアの未来」が国際的な関心事項となっている。しかし、あまり光があたらないところで、また異なる角度で、カンボジアの未来のために活動をされている方が多くいる。この報告書では、スポーツと観光の分野で活躍する方々の紹介をしたいと思う。

<青年海外協力隊水泳隊員、生山咲さん>

 サッカーの本田圭佑選手が「シェムリアップ・アンコールFC(現ソルティーロ・アンコールFC)」の経営権を獲得したことで、日本で一躍話題になったカンボジアサッカー界。また、Jリーグでは初のカンボジア人選手が誕生した。さらに、2018 AFC U-23 Championshipの予選で、カンボジアが強豪国の中国と引き分けるという快挙を成し遂げ、世界を驚かせた。このようにカンボジアサッカー界は勢いを増している。

 しかしながら、勢いを増しているのはサッカー界だけではない。最近、カンボジアでは、カンボジアのスポーツ界全体が活気づいている。このことについて熱く語ってくださったのが、青年海外協力隊の水泳隊員の生山さんだ。生山さんは、カンボジア水泳連盟に派遣され、カンボジアの水泳ナショナルチームのヘッドコーチをされている。今年8月には、マレーシアで開催された東南アジアスポーツ連盟主催のSEA Games (South East Asian Games)に参加し、メダルには届かなかったものの、ほとんどの選手が自己ベストを更新した。

 そして2023年には、カンボジアに念願のSEA Games自国開催が実現する。そこで、カンボジア政府は2023年の大会に向けて、外国人コーチを雇うなど、各種目の強化を行っているという。そんな中、生山さんはカンボジア政府に雇われている外国人コーチではないが、カンボジアスポーツ界の未来を支え、カンボジア水泳界の成長に貢献している一人だ。

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 生山さんから聞いた、カンボジア水泳界の歴史を紹介したい。今では、他の東南アジアの国々に後れを取るカンボジアだが、昔は強豪国として知られていた。1963年にカンボジア水泳連盟が発足。その後、1965年にJICAで青年海外協力隊の派遣事業が発足し、1966年にカンボジアに水泳隊員の中村昌彦さんが派遣された。そして、中村さんの指導の下、カンボジアの水泳選手は着実に実力を伸ばし、当時、ASEAN(東南アジア諸国連合)では強豪として知られるようになったという。しかし、1975年にカンボジアでは、ポル・ポト時代に突入し、知識人の虐殺が始まる。そして、水泳選手も処刑の対象であったが、中村さんの教え子の一人であった、ヘム・トン選手が自分の身分を隠し通し、ポル・ポト時代を生き延びたのであった。しかし、ポル・ポト時代が終わり、水泳をする自由が取り戻されたところで、1979年のカンボジアには水泳をしたいと思う人はいなかった。そのため、ヘムさんは自分の子供たちに水泳を教え、カンボジア水泳連盟もとより、カンボジア水泳界の復興に取り組んだ。その結果、5人の子供の内、3人が水泳選手として活躍し(シドニー、北京、ロンドンオリンピックに参加。なお、特別枠での出場)、現在、次男のヘム・キリーさんはカンボジア水泳連盟の会長をしている。そして、2016年1月に生山さんがカンボジア水泳連盟に加わり、さらに実力を伸ばし続けている。

 最後に、生山さんがカンボジアで取り組んだことを一つ紹介したい。水泳教室などに通うと、必ず、赤と青の針で特徴的な高さ1メートルほどの時計があると思う。あの時計はペースクロックといい、泳ぎながら選手が自分のタイムや速度を把握するために必要不可欠な備品である。しかし、ナショナルチームが練習をするプールにはペースクロックがなく、選手たちは曖昧な時間感覚でしか自分たちを計ることができなかった。そこで、生山さんはカンボジアでやや大きめの時計を買い(カンボジアにペースクロックが売っていないため)、時計の針に針金などくっ付け、針を長くすることを試みた。しかし、薄い針金では泳いでいる選手には針が見にくく、針を太くしようとも、針が重くなってしまっては、時計の一秒の時間が変わってしまう。そのため、生山さんは試行錯誤を重ね、実験を繰り返し続けた。そして、自作のペースクロックを作ることに成功したのだ。ペースクロックができてから、選手たちは自分たちの時間を把握し、長距離においては、泳ぎの速度やペースを調整することによって戦略を立てることが可能になり、目標設定なども明確に設定できるようになった。さらに、そのおかげで、選手たちは着実に記録を更新し続けている。このように、カンボジア水泳界の成長を生山さんは支えているのだ。

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<シェムリアップ州観光局局長、Ngouv Sengkak(ヌグヴ・セングクック)さん>

 カンボジアの代名詞ともいえるアンコールワット遺跡。アンコール王朝時代に建設されたこの遺跡は、カンボジアの国旗の中央に描かれ、国の象徴とされている。さらには、毎年数百万人の来訪者が訪れ、例年、カンボジアのGDPの10%以上を支えている。そんなアンコールワット遺跡がある、カンボジア王国シェムリアップ州。もちろんのこと、多くの観光客が訪れ、カンボジアの観光地として知られる。そのため、シェムリアップ州の観光局の役割は大きく、担っている責任も大きい。そして、僅かな時間ではあったが、偶然、空港でお会いした同州観光局の局長、ヌグヴさんに伺ったお話しを紹介したい。

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 カンボジアでは、トゥクトゥクという主に東南アジア地域などで普及している独自のタクシーがある。現地の人がこのトゥクトゥクのドライバーとなり、観光客などを乗せている。シェムリアップ州では、アンコールワット遺跡で日の出を見たい観光客を、朝4時にトゥクトゥクドライバーは迎えに行く。また、シェムリアップ州にはアンコールワット遺跡のほか、トンレサップ湖の水上都市やカンボジア民俗文化村などの観光スポットがあり、多くの観光客がトゥクトゥクを利用する。トゥクトゥク、またそのドライバーは、シェムリアップ州の観光を支えていることが理解できる。

 一方で、観光客とトゥクトゥクドライバーの間で、トラブルが起こることもしばしばある。一般的に、こうしたトラブルで考えつくのは、窃盗やぼったくりなどであろうが、思われている以上にそうしたトラブルは少ない。ヌグヴさんが問題視されていたのは、トゥクトゥクドライバーの英語力であった。観光客が話す英語がわからなかったり、曖昧な理解をしたまま行った先の目的地が間違っていたりするトラブルが多々あるという。そして、旅行というカンボジアで過ごせる限られた期間を有意義に過ごしてもらうため、ドライバーの英語力の向上は必要不可欠であると話してくれた。そこでシェムリアップ州観光局では、同州のトゥクトゥクドライバーを対象に、英語講座の開講を試みているという。現時点でこのプロジェクトはまだ企画段階にあるが、これまでに観光局では数多くの教育系プロジェクトを実施してきている。そしてヌグヴさんは、必ずこのプロジェクトを実施し、シェムリアップ州をより魅力的な場所にすると語ってくれた。

<おわりに>

 今回の渡航中、大学でお世話になっている教授のすすめでカンボジア王国計画省(Ministry of Planning)を訪れた。目的は、カンボジア王国の人口データが記録されているCD-ROMを購入するためだ。計画省にはCD-ROMのほか、人口調査に基づた資料も販売されていた。そこで、私はCD-ROMをはじめ、計画省にある多くの資料がJICAの支援によって、調査され、作成されていたことを知った。また、それらの資料に触れていく中で、これまでに何度かJICAの職員の方とお会いしたことがあるからか、職員の方が調査をし、資料を作成していく姿が目に浮かんだ。そして、それらの資料がいかに国家にとって重要なのかを考えたとき、感嘆のあまり、思わず息を漏らしてしまった。この時、私はこの報告書に、是非ともこのように人の見えないところで国家、または国民の生活を支えている方々について書きたいと思い、同時に私も将来はそのような人になりたいと強く憧れを抱いた。

 私はこれまでに6回カンボジアを訪れており、今回の渡航で7回目となった。そして、今回の訪問はこれまでの蓄積との連鎖によって、とても有意義な時間となった。しかしなによりも、今回は在福岡カンボジア王国名誉領事館様、また西日本新聞社様のご支援があったため、幅広く活動することができた。そして、多角的にカンボジアを学ぶことができたため、自分のなかで新しい関心事項が開拓された。今後はそれらの関心を深めていくとともに、これまでの研究や活動をさらに追及していきたいと考えている。

 最後に、半田スカラシップの遊学生にお選びいただいたこと、またご支援いただいた皆様に深く感謝を申し上げます。


立命館アジア太平洋大学2年 松本大海


在福岡カンボジア王国名誉領事館

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