半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第10期】カンボジアの未来 ー音楽を通して知るアジアの光ー

-001.png はじめに
本プロジェクトは、「カンボジアの実状に触れて、九州とカンボジア、日本とアジアをつな ぐ『若き架け橋』となってもらいたい」という願いの込めて、九州唯一のカンボジア公館「在福岡カンボジア名誉領事館」が主催し、西日本新聞社が後援する画期的な短期遊学制度「半田スカラシップ~カンボジア・遊学生~」プロジェクトです。

遊学のきっかけ
学生生活最後の夏休み、お金はないけど時間はある、今しかできないことをしよう、と思い立ち、大学の夏期休暇である9月の1ヶ月間を利用して、東南アジア一周旅行を計画していました。そこに、「渡りに船とはこのことか」と、偶然目にした大学の学生情報サービスで本プロジェクトに出会いました。過去に留学経験もあり、単なる海外旅行では物足りないということもあり、元々の計画にあったカンボジアの滞在日程を大幅に増やし、今回の遊学支援プロジェクトに応募しました。

遊学目的と背景
本遊学の 目的は、カンボジアの音楽について知ることで、日本とアジアのつながりを深めること、としました。小学生の頃からギターに触れ、大学では音響設計を専攻しました。そうした中で、ガムランなど東南アジアの音楽を知る機会があり、アジアの民族音楽に興味を持つようになりました。その中でもカンボジアはまだまだ自分にとって知らない音楽が待っている場所であり、そこからアジアのつながりを見いだせるのではないかと考えました。というのも、音楽の発展は、その国の歴史や社会背景を反映するものであり、音楽を知り、その音楽が生まれた経緯などを深く掘り下げることから、その国の理解を深めることが可能であると考えられるからです。カンボジアでは、1970年代のポルポト政権時代に,あらゆる教育が否定されてしまったという過去があり、音楽文化の発展が遅れている国です。そうした国に住む人たちが今はどのような音楽を楽しんでいるのか、これからどのように音楽文化が発展していくのか、を知ることができる機会だと考えました。

遊学計画
本遊学では,以下の2つを調査の中心的な活動として、カンボジアの音楽の今と未来を探ろうと計画しました。在福岡カンボジア名誉領事館との繋がりもあり、円滑に訪問許可をいただくことができました。
1. カンボジア大学訪問ー現地での音楽教育や、音楽との関わり方について知る
2. 未来の光孤児院ー未来を担う子供たちと音楽の関わりを知る
全9日間のカンボジア滞在のうち、前半2泊をアンコールワットで有名なシェムリアップ、後半6泊を首都プノンペンに滞在予定のうち、上記調査活動に該当しない時間は、遺跡や寺院、博物館、市場を訪れるなど、文字通り遊学することで、あらゆる面からカンボジアの人たちと音楽との関わりを探ることにしました。

本文
現地を訪れる前に行った事前調査、全9日間の現地滞在から得た知見やインタビューを含む本調査の内容に、レポート作成にあたって追加で調査した内容を加えて以下にまとめました。

事前調査
現地を訪れる前に、基本的なカンボジア王国に関する情報を収集しました。

歴史的背景
前述の通り、カンボジア王国では、1970年代のポルポト政権時代に,あらゆる教育が否定されてしまったという過去があります。クメール・ルージュと呼ばれる武装勢力がポルポト率いる共産党勢力の独裁体制を支えていました。「完全な共産主義社会」を目指したポルポトは、音楽を含むあらゆる教育を否定し、知識人の殺戮を行いました。その影響もあり、現在でもアジアの国々の中でも教育が遅れている国に入ります。
社会的背景

クメール・ルージュの残した傷痕は教育だけに留まりません。大量虐殺で亡くなった人の数 は、諸説ありますが、当時のカンボジアの人口の約2割がわずか4年間のうちに亡くなった[1]とされています。しかも、大量虐殺は知識階級や富裕層を中心に行われ、最終的にはほとんど全ての大人が対象になりました。その影響は、現在の人口ピラミッド[2]にもその影響をはっきりと残っています。人口増加が遅れ、近隣アジア諸国よりも、経済の発展に影響を与える人口ボーナス[3]の到来が遅れています。教育の観点では、教員の数に対する学生の数の比が大きいため、教員不足に悩まされています。

本調査
インタビューを含む現地での全9日間に渡る調査から、音楽文化と教育を中心に、大きく分けて以下の3つに知見をまとめました。

ポルポト政権と音楽
カンボジアでは、ポルポト政権によって、伝統音楽を含むあらゆる音楽が否定・廃絶されました。許されたのは、キリング・フィールドで有名なチュンエクの拘置所のような場所で流される、クメール・ルージュの革命歌など、ポルポト政権に賛成するような音楽だけだったと言われています。ポルポトによって音楽が失われる前、カンボジアではどんな音楽があったのかについて話を聞くと、「カンボジアン・ロックン・ロール」というものがあったと教えてくれました。普通のロックン・ロールと異なる点は、カンボジアの伝統楽器を用いているところだそうです。第二次世界大戦が終わった1945年からポルポト政権がカンボジアを支配した1975年の間といえば、世界的に見れば1940年代にエレキギターが誕生し、ビートルズが大ヒットしました。1960年代はロック全盛期であり、そこからハードロックやヘビーメタルなど、様々なスタイルが確立されていく時代でもありました。当時の日本で考えれば、戦後は歌謡曲に始まり、経済成長も相まって、欧米の音楽を積極的に取り込んで、新しい試みなされていた時代です。そういった波はカンボジアでも起きていました。ロックン・ロール以外にも様々な音楽が伝統楽器によって演奏され、流行していました。その多くはポルポト政権によって失われてしまったとのことですが、現在でもインターネットで検索して視聴することのできるものもあります。現在のカンボジアでは、HangMeasという音楽プロダクションがクメール・ポップと呼ばれる、日本で呼ぶところのJ-POPのような音楽を制作しています。音楽としては、恋の歌が多く、テンポ感や使用楽器は日本の演歌や歌謡曲に近い感じです。宿泊先のテレビで見た現地の歌番組では、計50曲以上を視聴しましたが、男性もしくは女性1人による独唱、もしくは男女のデュエットによるもののみが確認できました。歌い方には、言語の特徴かもしれませんが、独特の「こぶし」のような表現が取り入れられているものもありました。

帰国後の調査でわかったことですが、クメール・ルージュ以前のカンボジアは、近隣アジア諸国よりも音楽文化が発展していたと言われています。その理由は2つあります。1つはシアヌーク国王の庇護です。国王は宮廷音楽家に新たな音楽的試みを奨励しました。宮廷音楽家の1人であったシサマウスは1960年代カンボジアに西洋音楽を紹介しました。1970年代には国内レコード会社の設立が相次ぎ、レコードの販売網、クラブなどが発達しました。2つめの理由は、ベトナムの米軍ラジオで放送されていたR&Bやカントリー、ロック・ミュージックの影響が影響しています[4]。インターネットで現在視聴できるものの中にも、伝統楽器で演奏されたロックやジャズの楽曲があり、当時の音楽シーンが先進的であったことが伺えます。

音楽教育の現状
カンボジアの教育制度は6年間の小学生と3年間の中学生までが義務教育で、制度上は日本と変わりませんが、その実態は大きく異なります。親が教育の重要性を理解していないことが多く、基本的な読み書き計算を覚える小学2年生までで切り上げて、労働力として駆り出されることも少なくないと聞きます。また、教員が不足しているため、ひとクラス50人の集団授業が普通であり、戦後の日本の状況に似ています。しかし、音楽教育に関しては、当時の日本と比べても大きな違いがあります。日本では、明治・大正にかけて唱歌を基本とした音楽教育が取り入れられ、国産のオルガンが普及し始めていていました。日本には、音楽教育のためのインフラとも言える楽器を生産する技術があり、すでに教員が育っていたので、戦後の音楽教育でも問題なく音楽教育は発展していきました[5]。一方現在のカンボジアでは、義務教育の中で音楽が科目として指定されていますが、教員不足によって多くの公立の学校で実施ができていない状況です。習い事として音楽教室に通うことは可能で、市民の生活からすれば高額ではないようですが、英語やビジネスといった実務的な能力の方が重宝される社会で音楽教育に力を入れる親は多くないようです。

これに対し、訪問した未来の光孤児院では、伝統音楽の授業がありました。小学生から高校生までの学生が伝統的な舞踊と楽器を学びます。こういった伝統芸能は、この国に強く根付いており、学校とは別に、所属しているコミュニティの中で学ぶ機会のある人もいるようです。

カンボジア大学の訪問では、新設される芸術専攻の音楽コースでの学習内容とカンボジアの音楽教育について聞くことができました。音楽コースでは、伝統芸能で用いる楽器の教育を主としています。卒業までに、伝統音楽の楽器を用いた楽曲を制作し、実際に演奏するのだそうです。このコースを専攻するには、音楽技術を試す試験を受けて合格する必要があります。カンボジアには、音楽科のある高校もあり、その入学にも試験でも音楽の素養を試されます。小中学校で基本的な音楽教育が実施されていない場合が多いにもかかわらずです。
-014.png カンボジア大学のアン・ソフェク教授の紹介で、芸術高校の音楽科の授業の様子を見学させていただくことができました。そこで話した音楽科の学生によると、音楽科の学生は、カンボジアの伝統的な楽器と西洋の楽器をいずれもひとつずつ学ぶとのことでした。その学生の場合は、コントラバスとトロー・チェー(胡弓)といったようにです。訪問した9月はカンボジアの学校の休暇期間でしたが、学生たちは近々行われるオーケストラ演奏の本番に向けて熱心に練習していました。日本のオーケストラと共演するイベントに出演するとのことで、思わぬところで日本との繋がりを知るきっかけになりました。

-0170.png 街の人々の生活と音楽
全9日間のカンボジア滞在の中で、様々な面で音楽に出会いました。前半のシェムリアップでは、観光地ということもあって、遺跡の入口や有名なパブストリートの一角で伝統音楽の演奏をする集団に出会いました。いずれもカンボジアの結婚式で演奏される音楽を演奏していました。パブストリートでは、観光客の店が多いため、ライブ演奏を行うバーや、ダンスやエレクトロといった音楽を大音量で流す店舗が目立ちました。伝統音楽やクメール・ポップを店で聞くことはありませんでした。後半の首都プノンペンでは、地元の食堂のような場所や市場等を訪れましたが、音楽が流れていることはありませんでした。音楽を聴くことができたのは、路上で休憩している人たちが小型のスピーカーから流していたクメール・ポップをたまたま通りかかった際に耳にする程度でした。国立博物館はほぼ遺跡関連の展示のみで、音楽に関する展示はありませんでした。

ソヴァンナプームシアターと呼ばれる街の中心から少し離れた劇場では、毎週末伝統芸能の舞台が行われているらしく、見ることができました。独特な仮面と衣装をつけた演者と影絵芝居、伝統楽器の演奏を用いてラーマーヤナのストーリーを演じるものでした。アナウンス、劇中のセリフはすべてクメール語でしたが、お客の半分は観光客、半分は地元の親子や家族連れの客といった様子でした。偶然にテレビ局の取材も訪れていました。演技後は、その日誕生日だった演者にサプライズでケーキが贈られてお客さん含めてハッピーバースデイを歌うなど、アットホームな雰囲気の劇場でした。
-020.png 現地のテレビ局で行われたムエタイの国際試合と音楽ライブも見ることができました。ムエタイの試合では、タイの選手とカンボジアの選手が拳を交える中、ラウンド中は伝統的なリード楽器であるスラライと太鼓を用いたテンポの早い音楽が演奏されていました。音楽ライブでは、定番となっているクメール・ポップの楽曲を小学生くらいの子供が圧倒的な歌唱力で歌い上げて場を盛り上げたり、若い男女のグループがデュエットや見事なコーラスを演じていました。楽器の演奏はドラム、エレキギター、エレキベース、キーボードといった近代楽器のバンド編成で、ステージの奥の隠された区画で演奏しており、歌手がメインといったステージでした。

-023.png 首都プノンペンでは、いくつかの楽器店が同じ通りにいくつか並んでいるのを見かけました。いずれの店もバイオリンやトランペットなどのオーケストラ楽器は扱っておらず、ギターを中心としたバンド楽器を中心に扱っていました。同時にPA卓やスピーカ、アンプといったPA機器やマイクも多く扱われていました。伝統楽器も若干点数置かれていましたが、主力商品ではなさそうでした。平日の昼間という時間帯の問題もあったかもしれませんが、いずれの店にも他に客がいる様子はありませんでした。置かれているギターのメーカーを確認して見ると、聞いたことのないメーカやおそらく中国系のメーカと思われるものが多く、日本で店頭に並んでいるものよりも安価で売られていました。細かく中を確認して見ると、アコースティックギターのネックの反りを調整するトラスロッドという機構が搭載されていませんでした。日本の店頭で売られているアコースティックギター、エレキギターの多くは、これを標準搭載しています。これが値段の理由とも考えられます。店頭に並ぶラインナップの中では、ヤマハの初心者モデルが高価な位置づけでした。日本の楽器店では、ヤマハの初心者モデルのギターは、品質の割に安価であるという位置づけの商品であり、店頭の商品ラインナップからも、日本との経済の差を感じました。

おわりに
全9日間のカンボジア滞在を通して、音楽に焦点を当てることで、日本とカンボジアの違いや繋がりを見つけることができました。

まとめ
東南アジア諸国のなかでも人口ボーナスを迎える年が遅く、発展が遅れているカンボジアでは、経済に寄与しやすい実践的な能力が重要視されやすい中で、音楽に関する人々の関心は薄いようでした。しかし、ポルポト以前から取り組まれていたように、カンボジアでは、日本のように欧米の音楽文化を積極的に取り入れてマネして昇華させるというような方向性ではなく、自分たちが受け継いできた伝統楽器を積極的に新しい音楽に適応していくといった音楽を目指していました。現地の若者の中には、インターネットから欧米の最新ポップスなどを聴き、カンボジアの音から離れていく人もいますが、いまでの多くの人々の耳に馴染みがあるのは伝統楽器の響きです。本遊学を通して、こうしたカンボジアの音楽に関する現状を、肌で感じて知ることができました。

日本は経済成長とともに文化を発展させ、世界に発信できるようになりました。昨今は韓国がK-POPやE-スポーツの世界で文化に花を開かせています。日本でもインド映画のバーフバリが人気を博し、経済力を持った国が新しい文化を世界に向けて発信するようになってきました。今後、さらに多くのアジアの国々が人口ボーナス、経済成長を迎え、同様に文化に花を開くときがくると考えられます。そうした将来のために、発展の忙しい最中、静かにその種が育てられています。現状の教育の状況に多少の不安はありますが、今カンボジアで音楽を学ぶ学生や活躍するアーティストたちは、その礎を築いているのだと思います。平和な世界が続き、いつかその花が無事開いてくれることを切に願います。

今後の展望
これからのカンボジアの音楽文化の発展のために少しでもできることはないかと考えて、直近でできること、長期的にできることを考えました。直近でできることとしては、未来の光孤児院にギターを寄付することです。孤児院にはギターが2本あったのですが、いずれもかなり状態が悪く、子供たちが練習するには問題がありました。替えの弦も調達しておらず、弦が切れている状態で置いてあったので、替えの弦も一緒に贈ろうと思います。現地の担当者にも相談して機会を見て寄贈しようと思っています。長期的にできることとしては、楽器の会社に就職するので、遠くからではありますが、音楽文化の発展に貢献していけたらと考えています。


参考文献


1. Cambodian Genocide Program

( https://gsp.yale.edu/case-studies/cambodian-genocide-program )

2. 世界の人口ピラミッド ( https://www.populationpyramid.net/ja/カンボジア/2017/ )

3. ASEAN主要国における人口構造の変化による経済への影響

( https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/as180326.pdf )

4. カンボジア|戦前クメール音楽、復活

( https://www.international-press-syndicate-japan.net/index.php/news/culture-art-religion/988-culture-cambodia-pre-war-khmer-music-making-a-comeback )

5. 小山英恵, 戦後音楽科教育の発展史, 鳴門教育大学研究紀要 第31巻 2016. pp.76-87.

九州大学大学院芸術工学府 高橋尚吾

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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  • 閉館日 土曜、日曜、日本の祝日
  • 開館時間 9時半~17時半
    (※ビザの申請・発行は12時半まで)

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開館時間 9:30~12:30
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