半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第11期】遺跡 <プラサート> が結ぶ過去と現在、そして未来

image1.png はじめに

今回「半田スカラシップ〜カンボジア遊学生〜」企画のご支援により、カンボジアに一ヶ月滞在する機会を得た。この企画は「カンボジアの実情に触れ、九州とカンボジア、日本とカンボジアをつなぐ『若き架け橋』となってもらいたい」という願いから生まれた、在福岡カンボジア名誉領事館と西日本新聞社共催の留学支援制度である。関係者に深く感謝申し上げるとともに、これをきっかけに遺跡保存の今を多くの人に知っていただけたらと思う。

1)遊学のきっかけ
高校生のときに一度カンボジアを訪れたことがある。数日の滞在だったためどのような国か分からずじまいだったが、鬱蒼としたジャングルから垣間見えたレンガ造りの遺跡、その神秘的な佇まいが脳裏に焼きついた。大学4年になり「歴史的なモノや場所がどのように現代で生かされ、何を生み出しているのか」を知りたいと思った矢先、ふと思い浮かんだのがその遺跡だった。この遊学生制度を知り、カンボジアへ行くことを決心したのである。

2)遊学の目的
『遺跡と人との関係を探ること』をテーマに踏査を行った。
金銭的な豊かさから「誇り」などの内面的な豊かさまで、遺跡は人の営みの中に何を生み出し、何を人々は未来へ残そうとしているのか。日常生活や人々の思いに焦点を当て、調査を行った。

3)遊学の計画
状況の異なる二つの歴史的な場所を選んだ。
① 世界遺産アンコールワットで有名な観光都市「シェムリアップ」
② 2017年に世界遺産になったばかりの遺跡群「サンボープレイクック」
それぞれ、約10日間にわたり滞在する。

現地では遺跡と人々の関係を探るため、以下3つの側面から見るよう心がけた。
・現地で生活を営む住民
・遺跡の保存管理者
・観光業に携わる人

インタビューする際は、必ず最後に「お気に入りの場所」を質問した。その人の日常における特別な時間に遺跡が貢献しているとすれば、それを知りたいと思ったからだ。また、自ら「日常」を体験することも重視し、サンボープレイクックではホームステイを行った。
首都プノンペンでは、在福岡カンボジア名誉領事館のご支援のもと、未来の光孤児院、カンボジア大学を訪問し、カンボジアのアイコンであるアンコールワットをはじめとする遺跡をどのようなものとして捉えているのか、インタビューを行った。
遺跡にかぎらず、過去との繋がりは様々なところに見られる。それらにも気づくことができるよう感受性の器を大きく持ち「遊学」を行った。

アンコール遺跡群とシェムリアップの人々

1)シェムリアップ、アンコール遺跡群とは
トンレサップ湖(Lake Tonle Sap)の北側に位置する町、シェムリアップ(Siem Reap)。ガイドブックには「小さな町」とあるが、その発展はめざましく、ホテルやレストランが所狭しと立ち並ぶ。
1992年12月、内戦による損傷が激しかったアンコール遺跡群(Angkor Ruins)は、3年以内にクリアすべき条件が課せられ、世界遺産への正式登録が猶予された。「条件付きで危機遺産として登録する」ことによってユネスコは無秩序な開発から遺跡を保護し、1995年、アプサラ機構の設立とともに正式に世界遺産登録された。2004年には、アプサラ機構や多くの国際支援が功を奏し、危機遺産を解かれた。
image2.jpg image3.jpgのサムネール画像
2)踏査報告(滞在期間:8月24日〜9月4日)
シェムリアップの今
シェムリアップの観光客は年々減少している。8月の遺跡チケット売り上げは前年比2割減であった。しかし、カンボジア全体の観光客数は増加しているようで、観光資源の多様化により観光客が分散したと政府は見ている。

アンコール遺跡周辺の日常風景
アンコール遺跡はカンボジア人にとっても特別な観光地である。カンボジア人はチケットを購入せずに入場することができ、地元の人も遠くから来た人も遺跡に親しんでいる。親戚で集合写真を撮る様子もよく見られる。
またアンコール遺跡は仏教聖地でもある。もとはヒンドゥー教の寺院だろうが関係なく、中心に仏像を祀りお参りのスペースが設けてある。
「スラ」と呼ばれる池のまわりは憩いの場になっており、自立式のハンモックに揺られながらピクニックをする家族でにぎわう。

アンコール遺跡と人々の営み
約400キロ平方メートルの世界遺産登録エリア内にはいくつかの村が存在し、遺跡と隣接する集落空間に居住する人々がいる。タプローム遺跡手前に住む家族は、手作りの伝統楽器を売って生計を立てていた。以前まで営んでいた農業はすっかり辞めてしまった。収入は十分ではないが、それでも農業よりはマシなのだという。多くの住民が本来の生業である農業を辞め、観光や観光客に頼る生活をしている。
他の様々な手段でお金を得る人たちもいる。物乞いをする子どもや、強い押しで物を売る子どもなど、大半あまり気持ちのいいものではない。(できるだけ楽して稼ぐために、親が子どもを利用しているとの見方がされているが…)
また別のタイプとして、ちょっとしたガイドをして学費の寄付を募る学生、ミサンガを結んでお祈りの仕方を教えてくれる女性にも出会った。
ただ「物を売る」だけでなく、一種の商法として同情を売る人や、僅かに独自のサービスを提供する人がいる。売り物として観察できたのは笛などの伝統工芸品・服などの既製品・絵画などで、最近では輸入品が多く売られるようになってきており、お金の循環が損なわれると遺跡を管理する国の機関、アプサラ機構(APSARA)は憂慮している。
一方、ごみ拾いや、遺跡のパトロール、チケットの確認、保存修復現場作業員など、遺跡に関わった仕事もいくつかあるようだ。

アンコール遺跡を守る人々、その葛藤と課題
昔は僧侶や村人が遺跡内で生活をしていた。アンコールトム内にあったという村は、フランス統治時代遺跡保存のために現在のクラウ村へと移動させられている。これは西洋価値観の押しつけとして批判されるが、遺産保存と住民生活の両立は現在でも世界の現場を悩ませている。
アプサラ機構は、遺跡を守るために水を抜くという事業で村と対立した。また、領域内の景観を保つために伝統的な家屋を建てるようデザインを提供したり、地元の協力と理解を呼びかけるため、遺跡の重要性や仕組みを分かりやすく伝える絵本・アニメーションを制作している。
修復現場ではカンボジア人技術者の育成に力を入れているが、そのためにかかる時間は長大で、急激な経済発展による遺産保護の充実と観光地化のバランスの崩壊が懸念されている。

アンコール遺跡と観光に携わる人たち
数日間お世話になったトゥクトゥクのお兄さんは、寺院(パゴダ)で英語を学んだ。出家が貴重な教育機会となっていることを知った。通訳ガイドのVibolさんは無料で日本語を学ぶことができる山本日本語教育センターで日本語を学び、福岡に来て勉強している。
Vibolさんの勤めるツアー会社、To Asia Travel は普通の旅行会社と一味違う。オーダーメイドツアーも可能な学びのあるプログラムを提供し、文化を伝える側としての責任感と使命感にあふれている。CEOであるMr. Wathは、遺跡を守るためのツアーガイドの役割や、ボランティアツアーに対する批判的意見、遺産の専門家はアプサラ機構だけでなくツアー会社とも交流を持つべきだ、と様々な思いを語ってくれた。彼は社会起業家でもあり、植林や学校建設に力を入れている。「お金や教育機会を次世代へまわさなければ今の政治家よりも優れた人材が生まれないだろう?」ツアー会社としての社会的役割だけでなく、カンボジアの未来に対しても真剣に取り組んでいることに感銘を受けた。 image4.jpg
写真:左から、Mr.ラッター(日本語ガイドのトップ)、高口、Mr. Wath

お気に入りの場所は?
村でインタビューした奥さんは、アンコールワットと答えた。大きいから、と理由も聞いたが、通訳のVibolさんは「彼らは他の遺跡を知らない。アンコールワットが最も有名だから。」と付け加える。遺跡近くに住んでいても、遺跡に行ったことが無い人や知らない人がいるのだ。
通訳のVibolさんは、アンコール遺跡を生み出した砂岩の産地、クーレン山で流行りのグリーンキャンプをする。
アプサラ機構の研究者、Mr. Kongkeaの場合は乾季の西バライ。水田の緑がとても気持ちが良い。一方、Mr. Davaはパブストリートなどの賑わいがお好みだ。

サンボープレイクックと村の人々

1)サンボープレイクックとは
シェムリアップとプノンペンの中間地点、コンポントム(Kompong Thom)から更にトゥクトゥクで一時間の場所に位置するサンボープレイクック(Sambor Prei Kuk)。2017年7月、カンボジア第3の世界遺産となった場所だ。
プレ・アンコール(Pre-Angkor)期を代表するレンガ造りの遺跡群は、7世紀前半イーシャーナヴァルマン一世が創設したと考えられ、東西6km、南北4km以上の広範囲におよそ60基のレンガ塔などが散在する。
コミュニティベースドの観光が目指されており、周辺にある7つのうち2つの村でホームステイが展開されている。
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2)踏査報告(滞在期間:9月5日〜16日)
サンボープレイクックの今
2017年7月に世界遺産になったばかりのサンボープレイクックは、シェムリアップのようにはまだ発展しておらず、豊かな農村風景が広がる。
観光客は大まかに分けて、大型バス・大人数で来て遺跡にしか立ち寄らない人たちと、ホームステイなどで村に滞在する人たちがいる。ホームステイ利用者は主にオーストラリア人やヨーロッパ人、アメリカ人が多い。
年々観光客数は増えていて、カンボジア人観光客の割合も高い。

サンボープレイクックと村の風景
サンボープレイクックの主要な遺跡は密林とともに守られている。密林を抜ければすぐそこに農村があり、人々の生活がある。サンボープレイクックの東側、Sambor村では、地平線まで広がる見事な稲田が見られる。西側に位置するO Krou Ke村はちょうど古代都市跡に重なっているため、家の隣に名もない遺跡が存在している。
チケットセンターのすぐ側にはO Krou Ke Riverと呼ばれる川がある。夕方になると水泳教室や学校帰りの子どもたちで賑わうこの場所は、古代の灌漑跡だ。
何十もの小さな湖が集まり神秘的な景観を生み出しているDorng Ongteakは、ラテライトという特別な石でできている。遺跡建設のために石を切り出したあと、雨水がたまってつくられたという言い伝えが残る。 image7.jpg
写真:O Krou Ke River で飛び込みに熱中する子どもたち。

シェムリアップの反省を踏まえた、持続的発展を目指す
この地の保存を進めるNational Authority of Sambor Prei Kukは、シェムリアップの反省を踏まえてコミュニティーベースの観光を目指している。急激な発展は経済成長と引き換えに、古くからの伝統や風景をいとも簡単に壊しかねない。野放図な開発をさけ、緩やかな経済発展を目指している。観光マネジメントと地域コミュニティ連携を担うMs. Sophearyは、この村の田園風景も残していきたいと話す。
しかし、Ms. Sophearyとも親交が深い、現地で旅行会社を経営する吉川さん(後述)は、賛同者・理解者は村民の20%(その半分は隠れサポーター)と表現する。「村の人は農業に飽きている。私たちの考えを共有する地道な努力が求められている。」とAuthorityのDirector、Mr. Sreangは語った。
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写真左:Sambor Authorityの人たち  右:観光大臣の遊説を聞く関係者

地域密着型ステイの醍醐味・体験したリアルな文化
地域密着型観光の醍醐味は、「本物」が味わえることにある。
クメールスタイルの食べ方は、床、またはテーブルで料理を囲み、ご飯をとりわけ、各自おかず・スープを自分の皿まですくい、スプーンとフォークで器用に食べる。
魚がとても美味しいことに驚いた。炭火で焼いても揚げても美味しく、うろこまで食べられることがある。小魚を塩漬けにして発酵させたプラホックも忘れられない味だ。
朝は鳥のさえずりで目が覚め、顔を洗いに下へ降りると目の前を牛の行列が過ぎていく。朝は清々しく心地よいが、夜は犬や猫の喧嘩でうるさいときがある。
庭では当たり前のように、バナナ、マンゴー、パイナップルが育てられ、食卓に出てくる。
カンボジアのお盆、プチュンバンは15日間あり、毎朝4時にお経をあげてパゴダを3周する。
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写真左:ステイ先の食卓  右:お供え物が輝く夜明け前のプチュンバン

サンボープレイクックで明日の観光を考える
吉川さんはNapura-worksという旅行会社を立ち上げ、サンボープレイクックを舞台に地域密着型観光を展開している。カンボジアへ来て11年。クメール語も使えるバリバリのプレーヤーだ。
今回の踏査は、吉川さんの存在で成功したと言っても過言でない。ローカルガイドになりたての女の子2人と、日本からのインターンシップ学生1人と私とでチームを組み、10日間の日程を過ごすという企画をSambor AuthorityのMs.Sophearyと協議して共同で設計してくれた。ローカルガイド2人にとっては自信をつけるチャンス、日本人2人にとってはディープな体験ができるチャンスというわけだ。長年、吉川さんが地元の人と築いてこられた信頼関係のおかげである。
吉川さんご自身を体現したようなこの会社は、観光客と村の人とのつなぎ役として活躍している。交流が盛んになれば、観光客は一生忘れられないような体験ができ、村には誇りが生まれる。また、ガイドブックなどの先導的なものに頼らず、自分の感覚に正直になる大切さも教わった。コミュニケーションを活発に行い自分の感覚を最大限オープンしたことで、10日後の私は大の親友を得、帰りたいと思える場所を得たのだ。
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写真左:ホームステイでお世話になったご家族。写真右:今回のプロジェクトに関わったメンバー。左から、Ms.Sopheary、高口、Sokea、Phalla、小迫さん、吉川さん。

お気に入りの場所は?
遺跡がお気に入りの場所だと答える人もいれば、遺跡には一度も行ったことがない、よく知らないという人もいた。
特に農業を生業にする人は自分の田んぼやカシューナッツ農園に思い入れがある。農業の合間に見る美しい風景や作物の世話自体が楽しいそうだ。
子どもたちは海やビーチに憧れを持っている。親戚や友達が集まるパゴダや人の家が好きな子もいた。
仲良くなった男の子は、アンコールトムが素晴らしいと話す。世界で初めて医療機関をつくったジャヤバルマン7世を尊敬しているそうだ。
もう体を動かせないお年寄りになると、パゴダが心安らぐ場所になる。
お年寄りから内戦前の遺跡がいかに美しかったかを聞いた。かつてアンコールワット近くでフランス統治下の紡績工場で働いていた女性は、内戦前のアンコールワットの美しさを今でも覚えている。内戦の後、腕や頭を失くした石像を見て、その悲惨さに涙を浮かべた。かつてサンボーの遺跡をフランス人研究者と守っていた女性も、内戦前のサンボープレイクックの美しさを話してくれた。

首都プノンペンにとっての遺跡
カンボジア大学では、学生たちに遺跡について伺った。シェムリアップのアンコール遺跡はよく知っていたが、サンボープレイクックについては知らない人が多かった。クメールニューイヤーには遺跡の周囲で数々のイベントが催され、家族で観光にいく人が多い。

おわりに

1)遺跡と人の関係
シェムリアップ、サンボープレイクックを渡り歩き、遺跡と人との密な関係を見ることができた。
遺跡とともに暮らす人たちにとって、それは憩いの場であり、ふるさとの風景である。中には関わりを持たない人もいるが、確かに日常の一部として過去の痕跡は存在している。
遺跡を守る人たちは使命感を持ち遺跡と向き合っている。遺跡だけでなく、周囲の環境や村の生活、現在だけでなく未来まで見据えた保存の在り方を模索している。
観光業を担うものにとって、遺跡はビジネスの場であると同時に内省が求められる場である。遺跡や文化を紹介するにも、扱うにも、責任や使命感がなければ崩壊の手助けをしてしまうことになる。一方、観光客と現地をつなぐ、人と人とをつなぐ可能性にあふれ、これからの遺跡を取り巻く環境に希望をもたらす存在でもある。

保存、観光、生活の領域は重なり合う分衝突が避けられず、様々な困難と課題があることも知った。この対立はやっかいだが、サンボープレイクックでの保存、観光、村人の連携のように、互いが協力し合えばより良い未来が見えてくる。異なる立場でも、ビジョンを共有することができる。立場が違うからこそ、いいアイデアが生れる。コンフリクトを乗り越えた先に未来があるのだ。

2)今後の展開
Napura-works、Sambor Authorityと新たに、この地域だけで使用でき、訪れたものの目から見た、村の素敵なところを伝えるガイドブックを生み出す企画が進行中。ホームステイのご家庭やコミュニティガイドさんと連携しての使用を目指している。
同時に、今後も定期的にカンボジア、サンボープレイクックを訪れることを考えている。


おわりに
三輪悟、『アンコール遺跡群の世界遺産登録』、地球の歩き方 D22 アンコール・ワットとカンボジア 2019〜2020年版、2018、p.24
三浦恵子、『アンコール遺産と共に生きる』、株式会社めこん、2011、pp.209-220

第11期遊学生 高口葵(九州大学芸術工学部)

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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    (※ビザの申請・発行は12時半まで)

年末年始、ゴールデンウィークなどの特別期間は、その都度お知らせします。

開館時間 9:30~12:30
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