きよらのカンボジア留学体験記

福岡教育大学初等教育教員養成課程で美術専修の2年生。2014年に在福岡カンボジア王国名誉領事館が実施する「半田スカラシップ~カンボジア遊学生」の第6期生としてカンボジアを訪問したのを契機に、美術でできる支援のあり方を考えるため、カンボジアに1年間留学中。

コンポンルアン水上村に1泊する

 カンボジアには水上生活をしている人が沢山いますが、その中でも最大の水上村がプルサート州のトンレサップ湖上にあるコンポンルアン村です。約六千人、千五百世帯の人が住んでいて、そのうち6~7割がベトナム人、1割がチャム族、残りがカンボジア人だそうです。
私は水上生活をしている人を初めて見たときは、「水上民族」なのだと思っていました。その後カンボジア人から、あれは貧しいベトナム人だと教えられました。なぜベトナム人がいるのか。それは、インドシナ三国(ベトナム、カンボジア、ラオス)が、以前フランスの統治下にあったためです。この村は淡水魚の種類が大変多く、たくさん採れるため漁師が住み着いたそうです。ポル・ポト時代にはベトナム人を強制的にベトナムに帰したそうですが、ベトナムでは仕事がなく80年代にまたカンボジアに戻ってきたそうです。カンボジアの内戦終了後、政府がそれを管理しないまま、労働力はあればあるほど良い状況のもと、カンボジア政府もベトナムに強く言えなかったため、そのまま住み着いています。
 現在はカンボジア政府が月に一度調査に来て、家族の集合写真と登録書を提出すれば不法滞在を見逃してくれるそうです。しかし、この手続きのためには家族の誰かひとりはクメール語が話せなければなりません。実はここにいるベトナム人はカンボジアの言葉をあまり話せません。
家は竹やタイヤ、ペットボトルが敷き詰められて浮かぶ仕組みになっています。ひもの先に碇が付いていて緑色の大変汚い水の中へ落とされています。村人は舟を漕いだり、農業用エンジンを改造した舟で魚を捕ったり、遊びに行ったり、ものを売ったりしています。
2001年からJLMMというNGOがここで支援を始めました。公立小学校に子どもたちが入学したとき不都合がないようにクメール語とベトナム語、アラビア数字(※地方のカンボジアでは公立小学校4年生から習うそうです)を教える学校を作り、現地の先生が授業をしていました。
 毎週1回の給食や、清潔な水でのシャワー講座(※シャワーはなく、水は薬を使っても綺麗にならない水しかなく、村人は汚い水で水浴びのように体を洗っている)、水売り(※25リットルで50円。カンボジア語も話せる村のリーダーが売っている)、保健、衛生、性教育、母子手帳(※母子手帳を持っていない母親が沢山いて、お腹の赤ちゃんが何ヶ月目かも分からない人がいる)などの講座を、現地の人をファシリテーターとして行っています。
水上村には意外に物は沢山あり、散髪屋、服屋、電気屋、八百屋、豚小屋、レストラン、ビリヤード場、テレビ、LED、太陽光パネルなど陸地と変わらず、上陸しなくとも物で困ることはあまりなさそうでした。ただ文字や言葉が分からず、十分な教育も知識もないため、お金をうまく稼ぐことができず、若くしてDVのような行為で子どもを産み、病気になっても放置し、貧しい生活に陥っているそうです。
 村人はお金が全くない訳ではないが、お金を貯めるという事をあまりしないそうです。手に入れたお金はその日に使ってしまいます。お酒を飲んだり、夕方頃から夜10時くらいにかけては、子供から25歳くらいまでの男達がお金を賭けてビリヤードをしていました。多くの人がスマートフォンを持っていました。「貧しさの原因」は何か別のところにあり、私が思っていた「貧しさの状況、環境」とは違っていました。幸せの定義は違っても、命を守るためにJLMMが行っている知識の提供、実践活動は基本的な生活向上に欠かせないと思いました。

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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開館時間 9:30~12:30
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