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裁かれる闇 ポル・ポト派幹部初公判<上>妹は私の母校で殺された マウ・チャムロンさん(56)―連載

 ポル・ポト政権下のカンボジアで、1万5千人とも2万人ともいわれる人たちが犠牲になった「トゥールスレン収容所」(通称S21、プノンペン)。その所長だったカン・ケ・イウ被告(67)が26日、ポト派幹部として初めての判決を受ける。悲惨な歴史の闇が裁かれるのを前に、遺族や関係者に思いを尋ねた。 (プノンペン進藤卓也)


 ポル・ポト時代の行方不明者の消息を調査している男性が1枚の紙を持って訪ねて来たのは、ほんの3、4年前のことだ。「名前 セイン・チリン」「24歳」「娘が1人」。それに両親、夫の名前、逮捕の日にち、S21収容時に撮った写真まで記載されてあった。妹に間違いなかった。

 「実はその以前に、『S21に展示されている被害者の写真の中に妹がいた』と言う人がいて、多分殺されたのではないかと思ってはいたんです。でも、S21にはいけなかった。妹の死を確認することになるから。とても勇気がありません」

 男女5人ずつ10人のきょうだい。7人がポル・ポト時代に亡くなった。自身もダムづくりの強制労働にかり出され、土運びの重労働に仲間が次々に目の前で倒れ、そのまま事切れるのを見た。
  

 そこは、トゥールスワーイプレイという高校だった。35年ほど前のカンボジアで女性が高校に通うのはまだ珍しかった。軍人だった父が教育熱心だった。

 クメール・ルージュの軍がプノンペンに侵攻、支配すると、高校は名前を変えた。政治犯収容所、「S21」と。

 「青春なんて呼べる時代はなかったけど、高校の卒業試験に受かるために、みんなで夜遅くまで勉強したことが唯一の思い出。私が学んだ教室で妹が拷問を受けたかもしれない…。そう考えるととてもショックで…」

 4階建ての建物は今も高校当時のまま。しかし、室内は拷問部屋や独房、床に流れ出た血の跡さえ残す博物館に生まれ変わっている。高校生たちの歓声も、収容者たちの悲鳴もかき消え、見学者はあまりの生々しさと重い事実に、一様に言葉を失う。
 

 ポル・ポト時代。それは「破壊する時代だった」と言う。「妹、家族、私の夢や希望だけでなく、文化や伝統、習慣も。物理的にも精神的にも破壊した」

 裁判の様子はテレビやラジオで見守った。「彼が話しているのは罪を逃れるための言い訳です。何が起きたのか見てほしい。普通の農家の主婦だった妹が、どうしてスパイや政治犯に疑われ、殺されたのか。起きたことの責任を取ってほしい」

 書類に残った唯一の妹の写真。おびえ、恐怖に満ちた表情を見るたびに、胸が押しつぶされそうになる。

2010年07月25日西日本新聞朝刊

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