- 開館日 月曜日~金曜日
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26日午前10時。カンボジアの首都、プノンペン郊外の特別法廷で、政治犯収容所(S21)の元所長、カン・ケ・イウ被告(67)の判決公判が開廷した。
青いシャツ姿。494の傍聴席からの視線を一身に受けても、表情は少しも変わることがない。
中学校の数学の先生だったこと。S21は被告の命令下、組織的に運営されていたこと。女性や子ども、スパイと疑われたS21のスタッフにまでさまざまな拷問が加えられ、被告はそれを知っていたこと。カンボジア人の裁判長が語る事実認定を、被告人席で腕組みをしたり身を乗り出したりして聞き入った。
約1時間後、起立させた被告に「有罪」が宣告される。情状面が読み上げられる中、何が不満だったのか一度だけ首を振ったものの、閉廷後はほんの数秒で足早に法廷から姿を消した。
ポル・ポト政権の幹部とはいえ一収容所の所長だった人物を、政権崩壊(1979年)から30年余りたったいま裁くことの意味は何なのだろうか。
77回に及んだ公判では収容所の生き残りや犠牲者の遺族、また看守など収容所の元職員も証言に立った。しかし、驚くような新事実は出ていない。遺族一人一人が発した「なぜ肉親が」の問いにも、犠牲者1万5千人という膨大な数字の前に個々への答えは出せていない。「S21」はあの時代の狂気を示す象徴ではあるが拷問や処刑の実行者の責任は問われず、ほかの収容所で死んだ者は顧みられていない。
「それでも、若いカンボジア人記者は『カンボジア人が、自分たちの手でポル・ポト時代の歴史を初めて公にとどめるのがこの裁判だ』と語っていた。まさに、今回の裁判の意義だと思います」。プノンペン在住で全公判を傍聴した元新聞記者の木村文(あや)さんは言う。
今回はS21をめぐる極めて限定的な犯罪だけが訴追された。ヌオン・チア元人民代表議会議長など、政権中枢にいて「闇の時代」の意思決定にかかわった人物4人の裁判はこれからだ。4人はいずれも容疑を否認。70代後半という年齢と併せ、審理は時間との闘いともなる。
10歳に満たない子どもに「おまえはどこの国のスパイか」と迫った拷問。メガネをかけていただけで、「インテリは反革命分子」と処刑された戦慄(せんりつ)。私たちのこの同時代に、なぜ自国民を200万人も死亡させるという出来事が生じたのか。「狂信的な共産主義運動の末路」というだけでは説明を尽くせない。被告たちに罪を背負わせること以上に、その解明に期待がかかる。
判決後、遺族からは「満足できない」「予想外だ」と強い不満の声も聞かれた。だが、「ポル・ポトの名前さえ知らない」若者が増えているというこの地で、カンボジア人自らの手で歴史を刻んだ判決の意義は大きい。
2010年07月27日西日本新聞朝刊