カンボジア&九州ニュース

特派員リポート/地雷の村 自立支え20年

 福岡市のイベント企画会社社長がたった一人で始めた非政府組織(NGO)が来春、結成20年を迎える。名称は「カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)」。カンボジアの地雷除去を下支えし、被害者の支援にも取り組む。「コツコツ地道に実践してきた」と話す理事長の大谷賢二さん(66)と現地を歩き、「悪魔の兵器」との格闘の軌跡をたどった。
(バンコク浜田耕治)


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 タイ国境に近い西部バタンバン州のモーン地区。土煙を上げて走る車が、道いっぱいに広がった牛の群れにクラクションを鳴らす。水田が点在し、一見のどかな農村風景が広がる。

 「ここは危険だぞ」。ため池で魚を取っていた男性が声を張り上げた。「その茂みに入ってみろ。足が吹っ飛ぶぞ」。8月に近くでトラクターが対戦車地雷を踏み、農家の男性(35)が重傷を負ったという。地雷原の警告板はない。

 地中で半永久的に作動し、手足をぼろぼろに引き裂く地雷は、その残虐性から「悪魔の兵器」と呼ばれる。CMCが支援活動を続けるバタンバン州は、ポル・ポト軍と政府軍の戦闘が激しかった地域。内戦終結から20年以上たった今も、無数の地雷が大地に潜む。

 リハビリ施設を訪ねると、むわっとする熱さの中、義足の調整などで訪れた人が大勢いた。サムイェンさん(61)は農作業に行く途中、地雷を踏み右足を失った。「満足に働けず収入は激減した。妻と4人の子どもに迷惑を掛けたことがつらい」と話す。「内戦が憎い」と語るのは、地雷で両足を吹き飛ばされたワンターンさん(50)。義足が合わないのか、細い太ももに巻くサポーターに血がにじんでいた。

心の傷も重く

 地雷被害者の苦しみは、障害を一生負うだけではない。カンボジアでは差別にも直面する。被害者の作った米や野菜は買わない、家族とも付き合わないという人が少なくないのだ。

 「前世で罪深い行いをしたから報いを受けた、との偏見が根強い」とCMCバタンバン駐在員の松本直樹さん(26)は言う。ただでさえ生活は苦しいのに、被害者は自宅に引きこもりがちだったという。

 CMCはこうした状況を変えようと、2005年からラジオ番組の制作、放送を行っている。被害者を励まし、差別をなくすのが狙いだ。被害者をゲストとして番組に呼び「決して“役立たず”ではない」と訴える。放送は月4回。就業に関する情報も流す。

 被害者が作った詩を放送で朗読したこともある。

 《障害者は哀れだ/いつもいつも/困難の壁が目の前に立ちふさがる/自分はともかく/愛する家族を支えることも難しい/障害のない皆よ/おれは森にさえ入らなければ/いまいましき地雷を踏むことはなかった/(中略)でもおれには家族がいる/愛すべき子どもがいる/それだけで幸せだ/地雷はあるけど/カンボジアに生まれてよかった》(作者ヴァン・メイト)

 「『生きる希望が持てた』とリスナーに言われた」。松本さんはラジオ放送の手応えを語った。

あの手この手

 大谷さんがCMCを立ち上げたのは、42歳の時の交通事故がきっかけだ。内臓破裂の重体。意識が戻るまで3カ月半かかった。

 「当時経営していた複数の会社は自分なしでは駄目になると思っていたが、つぶれなかった。思い上がっていた」と自らを笑う。

 一度は失いかけた命。会社以外の事に力を注ごうと心に決めた。真っ先に浮かんだのは、カンボジアを旅した時に出会った義足の人々だ。「歓楽街の中洲で一晩に飲み歩く金があれば、大きな貢献ができる」と一人で募金活動を始めた。1998年のことだ。

 NGOはどこも資金調達に苦労する。大谷さんはさまざまなアイデアを繰り出した。「コンサートやチャリティー野球。地雷と関係ないことも企画した」。東日本大震災で募金の収入が5分の1に減ると、書き損じはがきの換金に取り組み、「はがき3枚で1平方メートルの地雷原をクリーンにできる」と提供を呼び掛けた。

 小学校などで年40回を超す講演をこなすと、支援の輪は次第に全国に広がった。これまでに地雷撤去や学校建設でカンボジアに行ってきた支援は、総額で1億6千万円を超えた。

バトンつなぐ

 経済発展が続くカンボジア。だが、繁栄は都市が中心で、地雷原のある農村部は取り残されている。大谷さんが力を注ぐのは、こうした地域の自立だ。

 「地雷を取り除いた後の土地で何をしたい?」。ある時、村人に尋ねると「学校が欲しい」と叫ぶような声が返ってきた。ポル・ポト派の虐殺によって教育システムは破壊され、多くの村人は教育を受けていない。何度もだまされ、土地を奪われた人もいた。

 「子どもには同じ思いをさせたくない。その気持ちは痛いほど分かった」と大谷さんは振り返る。

 CMCは04年から、地雷原のボップイ村などに小中学校計3校を建設。日本の子どもたちがアルミ缶を集めるなどして寄せた資金を充てた。今年11月には老朽化した学校を、福岡市の企業の資金援助で建て替えた。「善意のバトンがつながった」と感謝する。

 来年には新たな挑戦も控える。職業訓練所の建設だ。カンボジア人女性に指導してもらい、手織り物の訓練所を造る計画だが、足が不自由な人たちが習いにきてくれるのか、商品が売れるかなど、悩みも深い。

 大谷さんは言う。「地雷被害者だって、働いて社会の役に立ちたいと願っている。そんな彼らに希望を届けたい。地雷にこだわって20年、まだ休めない」


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 カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC) 本部は福岡市早良区。全国に6事務局を持つ。サポーターは約2千人。2016年度の収入は募金・支援金1600万円、チャリティーゴルフなどの事業収入800万円ほか。問い合わせは同団体=092(833)7676。


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 カンボジアの地雷対策・被害者支援庁によると、2016年の地雷や不発弾による死傷者は83人で、初めて100人を下回った。ピーク時の50分の1に減ったが、「負の遺産」は今も国民を苦しめている。

 カンボジアは東部で不発弾、北西部では地雷に悩まされてきた。ベトナム戦争(1960~75年)で米軍は「ホーチミン・ルート」と呼ばれる補給路があった東部地域を空爆。その際の不発弾が今も残る。

 80年代にはポル・ポト派と政府軍による内戦が泥沼化。北西部のタイ国境付近に逃れたポル・ポト派と、包囲する政府軍がともに大量の地雷を埋めたため、一帯は汚染地域となった。

 年間の死傷者数は、96年の4320人をピークに年々減少。2000年に859人と初めて千人を割り込み、今年1~6月は32人にとどまっている。地雷撤去が進み、危険回避の啓発活動が浸透したためだ。

 しかし、カンボジア政府は「都市部の農地を優先して地雷を除去しており、山間部は手つかずの場所も多い」(国際協力機構の担当者)。CMCの大谷賢二理事長も「地雷は今も農村部の開発を阻み、深刻な貧富の格差を生む一因となっている」と指摘する。

写真:
・大谷賢二さん
・「8月に対戦車地雷が爆発した」。男性が指さした場所は幹線道路のすぐ近くだった=バタンバン州
・「カンボジア人同士で殺し合った内戦が憎い」。地雷被害者たちは口々に語った=バタンバン州


2017年12月18日 西日本新聞

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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