半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第1期】カンボジアで感じたこと

■はじめに
 私は幼い頃から貧困や戦争に苦しんでいる人たち、目の前で親を殺され、食べるものがなく餓えていく子供たち、臓器・人身売買、HIVなど日本では考えられない出来事が世界中で毎日起きていることに疑問を抱き、資料があれば手にとって読み、テレビで知ることもあり、積極的にその現状を受け止めてきた。小学校の頃、平和と戦争について感想を書いていた時、よく先生に「戦争の時代に生まれなくてよかった。今が平和でよかった、と思うのではなくて、今自分にできることを書きなさい」と教えられていたことが印象に残っており今まで何かできることはないかと考えてきた。

 しかし、行動に移すにはまだ若すぎたし、何ができるのか分からず直接的に手助けをしてあげられなかった。そうして時が経ち、大学に入り自分一人でも海外に行けるようになった時、タイミングよくこのプログラムの話が私の元にやってきた。でも実際、私はカンボジアといわれても地雷が残っている国、アンコールワットで有名な国…というぐらいであまりピンと来なかったが、行くと決まってからガイドブックやカンボジアの本を読んである程度の知識だけ身につけて旅立つことになった。旅立つ直前は不安:楽しみ=8:2という感じだった。しかし、カンボジアについて何も知らないのでたくさんの人に色々なことを聞いて、自分の目で見て、感じるものはすべて吸収してこようと思った。

■カンボジア大学の学生の今後の期待
ishikura_01.jpg 今回、シアヌーク病院とカンボジア大学と光の孤児院のいずれかを見学することになっていたが、私は全部見てみたかった。特に子供が大好きなので孤児院に毎日のように通いたいと思ったが、場所も郊外で遠かったし、何かと行くのが不便で諦めた。シアヌーク病院にも訪れて色々と説明してもらってけれど、私には無力すぎてできることは無さそうに思えた。

 そこでカンボジアで様々なところを見て回ってきて、私に今一番してあげられることは大学生の望みを日本に伝えることだと思った。カンボジア大学に初めて行った時、人見知りの性格だけれど頑張って自己紹介をした。彼女たちはとてもフレンドリーで自分からたくさん話しかけてくれたり、一緒に授業を受けたときには本を見せてくれたり、携帯電話を滞在中貸してくれたり、先生も授業中退屈しないように時々話を私にふってくれたり、秘書のボリーさんも私のためにたくさんの時間を割いてくれてカンボジアの人の暖かさを感じることができた。

ishikura__02.gif 私は毎日一人の生活が本当に寂しくて嫌だったけれど、カンボジア大学に通いだして本当に楽しいと感じた。彼らは本当に英語が堪能で、勉強にとても熱心だった。授業も何回か受けたが、日本の大学とは違いみんな集中していて私語をする人なんていなかった。彼女たちは日本についてどんな印象を持つ?という私の質問に関して色々な意見を出してくれて疑問を感じることをたくさん質問してくれた。今回のアンケートでもわかったが、彼らは本当に学ぶのが大好きで外に出たがっていることを強く感じた。私は今回調査する点を日本とカンボジアの関係に絞り、彼らが今日本とカンボジアをどう見ているのか、そしてこれからどうすべきだと考えているのかをアンケートをとることによって調べてみることにした。質問は全部で六つ。

1. 日本にどのようなイメージを持つか?
 (人格・文化・経済何でもOK)
2.カンボジアの自慢できるところとは?(同上)
3.今日本のJICAやNGOがカンボジアで様々な活動をして
 いるがそれを知っているか?そしてその活動をどう思うか?
4.アンコール・ワット以外でカンボジアを
 知ってもらうには何があるか?
5.カンボジアが今後改善していかなければならない
 ところは?
6.日本に期待することとは?

というものだ。グラフがその結果である。

働く子供たち
 私は旅行が大好きで、大学に入ってから頑張って稼いだバイト代で海外ではアメリカ、台湾、シンガポール、マレーシアなど様々な国を訪れた。国内でも友人と色々な所に旅行にでかけた。カンボジアでもアンコールワットはもちろんのこと観光スポットには絶対訪れたいとワクワクしていた。観光スポットである王宮や博物館、ワットプノンなどどれも空を見上げるように大きな伝統的な建造物を眺めて回った。しかし、有名な観光スポットだけに、あまり見たくなかった現状も多々あった。地雷で足や手をなくした人たちや幼い子供を抱いたお母さんが物乞いしたり、ぐったりした幼い弟を抱いている汚れて黒くなったお姉ちゃんが座っていた。彼らは観光客が絶対通る門や階段付近に座っていたが、私を含めて誰もお金をあげようとはしなかった。こんなことをしても意味ないだろうと思ったけれど、彼らにはたまにでも恵んでくれる人がいるからそこにいる、ここ以外だと餓えてしまうのだろうと思った。私は地雷で手足をなくした人が物乞いをするのを見てとても重く感じた。でも私はその可哀想という同情を武器にお金と稼ごうと一種の商売に見えて嫌だった。

 それよりもアンコールトムの遺跡群を訪れた時の子供たちの必死な商売のほうが心を打たれた。人がきた!と思うと近寄ってきて籠の中にマグネットやハンドメイドのブレスレットをいっぱいにいれて、小さな手に三つほどのせて片言の英語で「これ1ドルだよ」と何回も言う。私は最初無視をする。無視なんかしたくないけれど周りにも数え切れないほどの子供たちがいるし、これから回る遺跡にもこんな子供たちはいるだろう。全部買ってあげるなんて無理だしきりがないと思って歩いていくのだが、彼女たちはちょっとじゃ諦めない。私が待っているトゥクトゥクに乗ってもまだ寄ってくる。彼らの顔を見たらもう終わり。私は買ってしまう。でも、そのときには最初3つで1ドルだったのが6つで1ドルになったりしている。高いから買わないわけじゃないんだよ、とそんな気持ちで結局負けてお金を渡すと、丁寧に頭を下げて「サンキュウー」という。その丁寧さにまた胸が痛んだ。この子達は1ドルが何リエルかも知らないという。このお金をお母さんにあげてちゃんと食事ができているのだろうか…。まだ5歳にもならない子供たちは大勢いた。3歳から12歳ぐらいの子供たちを見た。12歳ぐらいになると慣れてくるのか日本語で「お姉さん、買ってよ~」と言ってくる。

 私はバイクタクシーやトゥクトゥクの運転手で日本語を話す人達はあんまり関わらないほうがいいと聞いていたのでカンボジアで日本語を使う人はあんまり仲良くなりたくなくて、彼女たちとは違うが嫌な気分になりその時も無視をした。すると、彼女たちは私を日本語が分からないから中国人だと思い「ニーハオマ?(お元気ですか?)」と聞いてきた。この子達はいったい何ヶ国語の挨拶言葉を覚えたのだろうと思った。もちろん彼らの親たちも働いている。しかし、日本の子供たちはあんなに自由に遊びまわって、ほしいものは買ってもらえるのにこの差は何なのだ!と思う。いつからこうなってしまったのだろう。

 私はこの子供たちにずっとこんな生活を送ってほしくない。しかし、シェムリアップで働く女の看護士さんが書いた本で、カンボジアのことが本当に嫌になるときがあるけど、子供たちが一生懸命働いているのを見ると、これだ!これだから私はカンボジアが好きなのだ!と思えると書いていた。私にはその気持ちが分からない。私が日本に帰ってゆっくり家でテレビを見ているときも、学校で友達と仲良くご飯を食べながら楽しくおしゃべりをしているときも、彼らは遠いカンボジアの地で毎日毎日あの暑い気候の中で一生懸命売らなければいけない。そう考える本当に心が苦しくなる。私は今回カンボジアの子供たちを見てきたが、世界にはもっと貧しい国もあるし、彼ら以上に過酷な生活をしいられている子供たちもきっといるだろう。私はそんな子供たちのために力になりたい。しかし、わたしには無力すぎる。でも、いきなり全部は無理かもしれないが一日でも早く彼らが楽しい安全な生活ができるように力になりたいと心から思った。

■気づき・感想
 カンボジアを訪れて本当にいい経験ができたと思う。今まで観光や語学留学で海外には何度か行ったことはあったが、このように調査を目的にしたプログラムに参加するのは初めてだったし、発展途上国に一人で行くのも初めてだったので不安は計り知れなかった。

 滞在中はバイクタクシーで事故に遭ったり、道に迷ったり、怖いこともあったけど、カンボジアの人の温かさや、現地で知り合った日本人との出会い、身体全体でカンボジアを感じることができたことなどを考えると本当に人生の財産になったなと思った。カンボジアの状況を見て、私にはできることが少なすぎると感じることも多々あったが、少しでも役に立てることがあるならば、協力したいと思った。私はこれからもカンボジアについて調べ続けたいと思う。そして私の見たこと聞いたこと、感じたことを多くの人に伝えて行きたい。


佐賀大学 石鞍 明音

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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