半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第12期】カンボジア遊学記


私が半田スカラシップに応募した理由は、高校生の時に課題研究のテーマにしていたカンボジアの教育について、実際に現地に足を運んでより深く学ぶことだった。遊学では、出発時には思ってもみなかったたくさんの出会いがあり、教育だけではなく、様々な観点から深くカンボジアを知ることができた。また、初めて海外を一人旅し、多くの壁に直面しながら大きく成長できたと実感している。

プノンペン

空港から一歩外へ出ると、そこは全くの別世界だった。市内行きの電車やバスはなく、たくさんのトゥクトゥクが待ち構えている。ガイドブックで、トゥクトゥクで高額請求された話やトゥクトゥクに乗っている間にひったくりにあった話を読んでいた私はどのトゥクトゥクを選べばよいのか頭が真っ白になった。トゥクトゥクのおじさんたちが一斉に声をかけてきて本当に怖かった。
トゥクトゥクで市内へ入ると、たくさんのバイクや車が車線のない道路を自由に走っていく。本当にカンボジアに来たのだな。24日間も私はここで生活できるだろうか。初めての景色に不安と期待で胸がいっぱいになった。

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横断歩道で車は一時停止しないため、
始めは一人で道路を渡れなかった。

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日本の企業を多く見かけた。
郊外には巨大なイオンモールもあった。



チュンエクキリングフィールドとトゥールスレン大量虐殺博物館

1975年4月17日からの3年8か月間、ポルポトが政権を握った。ポルポト政権下で大量虐殺が行われ、3年8か月の間にカンボジアの人口の4分の1の人々が命を落とした。
チュンエクキリングフィールドはその虐殺場のひとつである。2011年時点で300を超すキリングフィールドが見つかっており、それぞれ千人から一万人もの死体が見つかっている。様々な言語でのガイドオーディオがあり、当時の様子や歴史について丁寧な解説を聞くことができた。私がここで最も恐怖を感じたのはクメール・ルージュの革命歌を聞いたときだった。当時、革命歌が大音量で流されていたのは、辛い農作業を強いられている人々を鼓舞するため、そして、残虐に殺されていく人々の断末魔の叫びをかき消すためだったそうだ。その軽快な音楽の下でいつ終わるかわからない恐怖の中で生きる人々、殺されていく人々の姿を想像し、息が詰まるような思いがした。不気味な情景が頭から離れず、恐ろしくて具合が悪くなった。

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服の切れ端が当時のまま木に
引っかかっているのが見える。

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頭蓋骨は強くひび割れているものが多く、
どのように殺されたのか、想像してしまう。


トゥールスレン大量虐殺博物館は当時S21(Security Office 21)があった場所であり、ここで反革命分子とみなされた人々の拷問が行われた。当時、人々が縛り付けられ、拷問を受けていたベッドや鎖がそのまま残されている。この場所が発見されたとき、このベッドには手や足が切断された遺体が転がっていたそうだ。毎日毎日拷問を受け、助けを待っていた人々のことを思うと、本当に絶望的な気持ちになる。人々がどのような方法で拷問されたのか、ここでも詳しい解説を聞くことができるのだが、人間の慈悲の心も、人間としての尊厳もここにはかけらも存在せず、当にこの世の地獄である。本当にこれが現実に起きたことだとは信じられなかったし、信じたくなかった。

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背景に見えているのがS21である。
S21として使われる前は学校であった。


この二つの場所を訪れて、なぜ罪のない人々が非人道的なやり方で残虐に殺されなくてはならなかったのか、悲しみと怒りでいっぱいになった。カンボジアの人々はこの悲しい歴史を背負って生きている。そして、様々な言語による詳しいガイドが用意されていることからもわかるように、この負の歴史を世界中の人々に伝えようとしている。歴史の継承者として、このような惨劇が二度と繰り返されないために、目を背けたくなるこの歴史と向き合い続けていかなければならないと強く感じた。ぜひ、カンボジアを訪れる世界中の観光客に足を運んでほしい場所だ。

モンドルキリへ

プノンペンの次はモンドルキリへ行った。ベトナムに近いカンボジア東部に位置する田舎町だ。ここはもともと訪れる予定ではなかったが、遊学が決まり、領事館へオリエンテーションに行った際、見せていただいたカンボジアの雑誌の中で特集されており、ぜひ行ってみたいと思った。
朝6時ピックアップのモンドルキリ行きのバスを予約し、絶対寝坊しないようにといくつもアラームをかけた。が、目覚めたのは9時。携帯を充電し忘れてアラームが鳴らなかった。幸運にも12時発のバスがあり、その日中にモンドルキリに着けることになった。
バスといっても日本の高速バスのようなバスではなく、バンである。長距離移動のため、途中何度か休憩を挟む。休憩所ではちょっとした食べ物を売っていたり、食堂があったりする。私のバスが立ち寄った休憩所では、燻製した卵や虫、カエルなど、見た事のない食べ物がたくさん並んでいた。私が興味津々で見ているのを見て、店のおばさんがカエルを試食させてくれた。初めてカエルを食べたが、カリカリしておいしかった。このようなバスが立ち寄る場所では、バスが止まったのを見て子供たちが物乞いをしにやってくる。他のカンボジア人の乗客にならって少しだけお金を渡したが、渡すべきなのか渡すべきでないのかわからなかった。

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バスの休憩所で売っていたカエルと虫。


昼のバスに乗ったせいでモンドルキリに着いたのは7時半頃。街灯は少なく、辺りは真っ暗でとても不安だった。ちゃんと宿泊先まで辿り着けるだろうか。乗客の中に英語を話せる方がいて、トゥクトゥクドライバーに行先を伝えてくれたおかげで無事に宿泊するバンガローまでたどり着くことができた。知らない町で夜の移動は極力避けた方がいいと学んだ。

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バンガローを運営している家族。ハプニング続きで不安だったが、
とても親切にしていただき、ほっとした。




エレファントツアー

モンドルキリではエレファントツアーに参加した。森の入り口の小屋までトラックの荷台に乗って行ったのだが、風を切って高原を走っていくのがとても気持ちよかった。アトラクションに乗っているみたいだった。

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車の荷台から見た景色。



エレファントツアーの1日目は象の保護に関するお話を聞いた後、象にバナナをあげたり、一緒に水浴びをしたり、象とたくさん触れ合った。ここにいる象はガイドの方が声で森の中から象を呼んだり、愛しそうに見つめたりしている様子を見て、この人達にとって象は家族の一員のような存在なのだなと感じた。



その日の夜は違うガイドの方がやってきて、バンブースープを作ってくださった。スープの具材を竹の筒に入れ、焚火で調理する。優しい味がしてとてもおいしかった。私が焚火を眺めていると、ハッピーウォーターを勧めてくれた。これは実はとても強いお酒で、ガイドの方たちは毎日飲んでいるそう。カンボジア人は本当にお酒が強いと色々な場所で感じる。

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バンブースープ。

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小さな子供がいて一緒に遊んだ。
とってもかわいかった。

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ガイドさんの家族。
普段は村に住んでいる。
言葉は通じなかったが目が合うと
笑顔で応えてくださった。

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山小屋から見た壮大なジャングル。忘れられない景色。


エレファントツアー2日目は朝から夕方までジャングルをトレッキングした。途中何度も獣道を通ったり、下が崖になっている道をロープを使って渡ったり、アリに足を嚙まれてものすごく痛かったり、靴にうにょうにょした虫がたくさんついていたり、大変なことも多かったが、息をのむような素晴らしいカンボジアの大自然を感じることができた。
トレッキングの途中で立ち寄った滝では地元の子供たちとフランス人男性が遊んでいた。子供たちは崖をよじ登って滝にジャンプする。フランス人男性もそれに続いていく。私は怖くて挑戦できなかったため、このフランス人男性がとても勇敢に見えた。フランス人男性はモンドルキリに英語教師として来ているそうだが、クメール語を話すことができた。このように言語を習得し、子供たちと一緒になって遊ぶ。こうやって地元の人たちと打ち解けていくのだなと憧れを感じた。

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ジャングルトレッキング。

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現地の子供たちと
フランス人男性と遊んだ滝。

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高原で育てている稲。
この種類の稲は水が必要ない。

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キャッサバ畑。
トレッキング中、何度も通った。

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橋を渡るときは
この小屋に住んでいる
おじいさんに通行料を払う。
何人通ったかを数えるために、
チョークで書き込んである。

モンドルキリに住む人々はプノン族という少数民族で、彼らの言葉であるプノン語とクメール語の両方を話す。この地域は山がいくつも連なっており、トレッキングの際も山の上の農地と谷のジャングルを何度も登ったり下りたりした。私にとってはものすごく大変な道のりだが、ガイドの方は一切疲れておらず、近所を散歩しているようだった。この険しい森をバイクで通ることもあるそうだ。


シェムリアップ

モンドルキリからバスで11時間。アンコールワット遺跡群のあるシェムリアップを訪れた。観光客や海外からの移住者が多く、とてもインターナショナルな町だ。中心部にはコンビニもあり、必要なものは何でも揃うが、プノンペンのように交通量は多くなく、時間の流れがゆったりしていてとても過ごしやすい。ここでバッタバンに行く前と後の計2週間ほど過ごした。その中でシェムリアップの町、人々に強く惹かれていくようになった。

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コンビニには日本製品もたくさん置いてある。




バイヨン中学校訪問

シェムリアップ、バッタンバンには国外の様々なNGOが教育支援に入っている。アメリカ、日本、韓国、フランスなどのNGOによって建てられた学校をいくつもみた。そのうちの一つ、シェムリアップのバイヨン中学校に訪問させていただいた。バイヨン中学校は私が高校時代に課題研究でお世話になった学校で、カンボジアに興味を持つきっかけとなった学校だ。生徒たちはとても礼儀正しく、廊下ですれ違う度に笑顔で挨拶してくれた。廊下には昨年卒業し、大学へ進学した4人の生徒の写真が飾られており、生徒たちは彼らを目標に勉強に励んでいるのだと思った。中学3年生の英語の授業を見学させていただいたが、授業のレベルは高く、過去完了形を習っているところだった。生徒たちとカンボジアの遊びをしたり、食堂で朝食を取ったり、お互いの国について質問し合う時間を作っていただき、生徒と話したり、とても充実した時間を過ごした。

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1日だけ泊まった民泊先の子供たち。

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日本語を習ったことがあるそうで、
ノートを見せてくれた。
とても勉強熱心で、
ノートにはびっしり練習した跡があった。

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バイヨン中学校の生徒たちと。フレンドリーでたくさん質問をしてくれた。




地雷博物館

ここは元兵士だったアキ・ラー氏が地雷の撤去活動や、地雷被害者や戦争孤児を受け入れて養育を行っていた場所だ。展示されているこれまでに撤去された大量の地雷に驚きと恐怖を感じた。アキ・ラー氏が初めて銃を持ったのは5歳のとき。クメール・ルージュの兵士として、ベトナム軍の兵士として、10歳から20歳まで戦い続けてきた。兵士のときには地雷を抱えて寝たこともあり、地雷は彼にとって自分の身を守るためのものだったそうだ。戦後、自分たちが埋めた地雷によって傷ついた人々を目にし、独学で地雷撤去技術を学び、この活動を始めたのだという。
この博物館の警備員の方も地雷で足を負傷し、アキ・ラー氏の養育施設で育ったそうだ。よく見ると片足は木でできた義足だった。この博物館には日本人のジャーナリストの本が置いてあり、戦後すぐのカンボジアの様子が記録されていた。その中で手や足を失った人々が物乞いをする様子が何度も出てきた。今日でもシェムリアップの町では体に障害を抱えていて物乞いをしている人々がいる。しかし、彼らは義足をつけていない。警備員の方のように義足をつければ再び働き始めることができるのではないか。なぜ義足をつけないのだろう、と思い警備員の方に尋ねた。警備員の方によると、義足を使って歩くのはとても痛く、血が出てくるのだそうだ。警備員の方も帰宅時には外しているのだと教えてくださった。義足というと、パラリンピックのアスリートたちが義足をつけて走ったり飛んだりしている様子を想像していた私は、それが高性能な技術によって叶えられているのだということを思い出した。警備員の方がつけていたような義足では、不自由のない生活を取り戻すことは難しい。だから彼らは40年間も路上で物乞いを続けているのだ。

ものすごい数の地雷。
今もまだ600万個の地雷が埋められている。




バッタバン・半田アカデミー訪問

バッタバンでは5日間、半田アカデミーでボランティアをさせていただいた。カンボジアの学校は午前午後の2部制で、パブリックスクールがない時間にプライベートスクールに通うのだが、半田アカデミーはプライベートスクールに通うための金銭的余裕のない家庭の子どもたちを受け入れている。ここに通っているのは8歳から12歳のこどもたちで、親が隣国に出稼ぎに行っていて、祖父母と暮らしている子供たちも多いそうだ。半田アカデミーでは生徒たちが私の手を引いて学校を案内してくれたり、手につけていたバンドや髪飾りをプレゼントしてくれたり、サッカーに誘ってくれたりと、きらきらした表情でおもてなしをしてくれた。生徒たちはよくティーチャーのチャーを語尾につける。「グッドモーニングチャー!」「サンキューチャー!」「グッバイチャー!」。そして、登校したときと下校するとき、駆け寄ってきてハグをしてくれる。その様子が本当にかわいらしかった。英語がまだあまり上手ではないため、言葉では意思疎通が難しかったが、ジェスチャーやクメール語で一生懸命思いを伝えようとしてくれたし、一緒にサッカーやボールゲームをして本当に楽しかった。
先生方はとても教育熱心で、私の訪問を歓迎してくださり、丁寧に対応してくださった。最終日に日本文化について紹介する時間を設けてくださり、授業の合間に準備できるよう、職員室のパソコンを貸してくださった。今後半田アカデミーを訪問する遊学生はぜひ事前にプレゼンテーションを用意して行くとよいと思う。生徒たちが飽きないか、喜んでくれるかと不安だったが、生徒たちは皆、真剣に、目を大きく開いて聞いてくれた。「どうして肌が白いの?」「なぜ日本では雪が降るのにカンボジアでは降らないの?」と、純粋で素直な質問をたくさんしてくれた。


「なぜ日本の学校は1日なのにカンボジアの学校は半日なの?」という質問に対し、私は自分の持っている知識で「教師が足りないから」と答えようとした。すると先生から「教師が足りないのではなく、今の学校制度が半日だから」だとご指摘いただいた。確かにほとんどの生徒がフリースクールに行き、そこには先生がいるのに教師不足が理由だとは考えにくい。シェムリアップで訪問したバイヨン中学校では、一人の英語教師が全学年の英語の授業を受け持っており、本当に忙しそうだった。バイヨン中学校のような農村部の学校では今も教師不足が深刻なのかも知れない。しかし、多くの生徒がパブリックスクールの勉強だけでは足りず、フリースクールに通っているのでれば、パブリックスクールを1日にすることで家庭環境による教育機会の格差を是正することができるのではないかと思う。

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コンピューターの授業の様子。

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給食の時間。
家で十分な食事が
とれない子供たちも多いため、
給食でしっかり栄養が
取れるように
考えて作られている。

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給食の後は自分たちで
あとかたづけをする。

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アートの授業

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農業の授業。
学校でグアバを育てている。
瑞々しくてとてもおいしい。

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子供たちはサッカーが大好き。
Visaは先生のバイクに
乗って帰るため、
先生の仕事が終わるのを
待っている間、一緒に遊んだ。

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生徒からのとても愛らしいプレゼント!

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カンボジアで出会った人々

最後にカンボジアで出会った人々の話を記したい。私は計2週間シェムリアップ滞在時、ホステルに宿泊していた。そのホステルで働いている方々がとてもフレンドリーで素敵な方たちで、素晴らしい出会いだった。彼らに会うためにまたシェムリアップに戻りたいと思っているくらいである。彼らと過ごす中で、カンボジアの暮らしが見えてきた。

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Sayon
ホステルのスタッフ。
私のことをチノチケ
(しんのすけ)と呼ぶ。
カンボジアで
「クレヨンしんちゃん」が
クメール語で
放送されているらしい。

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Linda
カンボジア人だが、タイに住んでおり、
旅行でシェムリアップを訪れていた。
Lindaがシェムリアップにいる間、
一緒に旅をした。




PONLEU

PONLEUはホステルの受付で働いている。私が大学生だという話をすると、学生時代の話をしてくれた。Ponleuは大学へ進学したものの、2年生に進学するときにお金が無くなり、シェムリアップのパブストリートで働き始めたそうだ。大学一年間にかかる費用は100ドルくらいで、パブの給料はわからないが、このホステルで8時間働いて稼げるのは5~6ドル。働いてお金が貯まり復学することもできたが、パブでの生活が楽しく、もう一度大学に戻る気にはなれなかったそうだ。カンボジアでは何か専門分野をもっていると高給な仕事に就けるため、Ponleuは大学を卒業しなかったことを後悔していると言っていた。私もシェムリアップに滞在中、何度もパブストリートへ行ったが、賑やかで楽しいところだ。一度きりの人生で何を優先し、どの道へ進むべきなのか、その選択に悩むのはどの国の若者も同じなのだと思った。


パブストリート。
人々はお酒を飲みながら友達とおしゃべりしたり、ダンスフロアで踊ったり、
プールやビアポンをしたりして楽しんでいる。観光客も多い。




VEASNA

Veasnaはホステル内のバーでカクテルを作っている。目が合うといつも笑ってくれる。Veasnaはベトナム戦争で3歳のときに両親を亡くし、他の兄弟とともにプノンペンのNGOで育ったそうだ。両親は銃で撃たれたのだと言い、スマホで結婚式と思われる両親の写真、担架に乗せられた負傷者の写真を見せてくれた。戦争が終わってから40年も経たないカンボジアでは、戦争の傷跡が今もあちこちに深く残っている。話を聞くまで、身近な人がそのような悲しい過去を背負っているとは想像しなかった。衝撃的で、Veasnaにどんな言葉をかければよいのか分からず、黙り込んでしまった。




SOKREOM

Sokreomは私のことを気にかけてくれて、早朝のアンコールワットやローカルなナイトマーケットなど、色々な場所に連れて行ってくれた。本当に感謝している。ある日、家族パーティーに招いてくれた。田舎道を進むと、周りをトンレサップ湖に囲まれた道に出た。何組もの家族がレジャーシートを敷いてピクニックしている。Sokreomの家族は両親、兄弟(Sokreomは8人兄弟)、甥っ子、姪っ子、幼馴染とその彼女まで、20人ほどがあつまっていた。道には屋台も出ており、飲んだり食べたりしながら家族団欒を楽しんでいた。母と2人家族の私にとってはとても羨ましい光景だった。時々このように家族で集まって過ごすのだそうだ。



シェムリアップに滞在中、私は何度かSokreomのバイクに乗せてもらった。初めてバイクに乗ったが、風を切って走っていくのがとても気持ちよかった。帰国前、バイクの魅力を知ったため、帰国後にバイクの免許を取りたい、と話すと、バイクの免許とは何か、と聞かれた。なんと、カンボジアではバイクの免許はいらないらしい。日本人が自転車に乗るような感覚なのだろうか。自分でバイクに乗れるようになったそうだ。家に3度突っ込んだことがあるとも言っていた。この旅一番のカルチャーショックだったかもしれない。

Sokreomがバイクのカギをなくしたため、エンジニアがカギを作りに来ていた。驚くことに、板を削って凸凹をつくり、カギを作っていた




終わりに

カンボジアの空気を吸い、トゥクトゥクに乗り、バイクに乗り、カンボジアの料理を食べ、カンボジアの様式のトイレを使い、カンボジアの人々のやさしさに触れ、カンボジアの人々と共にたくさんの素晴らしい時間を過ごすことで、全身全霊でカンボジアを感じることができた。自分が今まで日本で経験してきたものとは異なる生活習慣、価値観、人生観にたくさん出会うことができた。遊学を通して自分の「当たり前」の世界から出たことで、様々なことに柔軟になり、「違う」ことに対して強く好奇心を持つようになった。たくさんのインスピレーションを受けて私の中の世界観が大きく広がっていること感じている。
私が遊学で出会ったカンボジアの子供たちは皆、無垢で純粋で好奇心に満ち溢れていた。多くの子供たちが日本文化や日本での生活、カンボジアの外の世界に強く興味を示してくれた。ぜひ、カンボジアの子供たちにも遊学のチャンスを与えていただきたい。私がそうであったように、カンボジアの子供たちにとっても遊学が彼らの世界観を広げるきっかけになるはずだ。そして、何かのかたちで私もカンボジアの子供たちの遊学を支援したいと心から思う。
クニョム・スラムラン・カンプティア!


謝辞

このような貴重な遊学の機会を私に与えて下さり、本当にありがとうございました。半田晴久名誉領事をはじめ、様々な面からサポートしてくださった在福岡カンボジア王国名誉領事館の方々、西日本新聞社の方々、そしてカンボジアで私の訪問を歓迎してくださったバイヨン中学校、The Handa Academyの先生方、カンボジアで私に関わってくださった全ての方々に心から感謝申し上げます。

第12期生 星 優菜 立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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