半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第13期】0から1へ、架け橋になるために



私が半田スカラシップに応募した理由は、昨年、九州共立大学でこのプロジェクトのポスター(No.1)を見かけたことがきっかけである。カンボジアについて調べたところ、驚くべき歴史があり、世界的にも大規模な虐殺があったことを知った。さらに、教育問題や貧困、地雷の被害など、多くの課題を抱えていることもわかった。

昨年はこのプロジェクトに参加できなかったが、それから1年が経ち、海外経験を積んだ自分は、今年、半田スカラシップに選ばれ、遊学生としてカンボジアに渡航した。

(No.1)きっかけとなったポスター


目的

日常生活におけるスポーツの関わりや健康状態、さらに農業や食に対する関心から、その実態を自ら体験し、その経験を周囲に伝えることにある。また、現地の学生や子どもたちとの関係を深めるために、日本のラジオ体操を一緒に行い、大縄跳びを持参して一緒にスポーツを楽しみながら体を動かすことを考えて渡航した。
このプロジェクトには、九州とカンボジア、さらには日本とアジアを繋ぐ架け橋となってもらいたい−という願いが込められている。私はカンボジアで体験し体感したことをSNSや発表を通じて多くの人々に伝え、それこそが架け橋になると考えている。

本レポートでは、時系列に沿って内容をまとめる。
カンボジア国内の地図(No.2)に示されているように、以下の順で活動を報告する。
①プノンペン
②コンポンチャム
③シェムリアップ
④バッタンバンの順で進めていく。

(No.2)カンボジア国内を巡った順番



①プノンペン
プノンペンはカンボジアの首都であり、到着してまず驚いたのは、中国系企業の多さだった。渡航前からカンボジアが中国からの投資を多く受けていることは知っていたが、現地で目にした中国語の看板や、飲食店に集まる中国人の多さには改めて驚かされた。タイやベトナムでは日本食レストランが数多く見られるが、プノンペンでは日本食のレストランは多少あるものの、中国に比べると圧倒的に少なかった。また、カンボジアでは中国主導の建設ラッシュが起きていたが、バブルが弾けた今、中国人の勢いが弱まり、日本食レストランの主なターゲットであった中国人層が減少していることが懸念されていた。
一方、プノンペンの市街地は昼夜を問わず活気に満ちており、特に夜になると一層賑やかであった。街全体にエネルギーがあふれ、発展を遂げている都市の様子が感じられた。

立ち並ぶ高層マンション

セントラルマーケット

ナイトマーケット


カンボジア大学

プノンペンで最初に訪問したのはカンボジア大学だった。到着すると、学生たちが日本語で温かく迎えてくれた。自己紹介の後、質問タイムが設けられたが、カンボジアの学生たちは意外にシャイな一面を見せつつも、積極的に質問をしてくれた。印象深かったのは、彼らが披露してくれた歌に合わせて一緒に踊った時間だった。会って間もなかったが歌とダンスを一緒にすることで仲が深まった。

カンボジアnameをつけてくれた
私の名前「一星」について、漢字の「星」が「スター」を意味すると伝えると、学生たちは「DARA(ダラ)」というカンボジア名をつけてくれた。
クメール語で「DARA」は「星」を意味し、非常に嬉しかった。

一緒に授業を受け、同年代と楽しんでいる様子


学生発表会の見学
この日は、定期的に行われている学生発表会を特別に見学することができた。2ヶ月間の準備を経て、5分間のスピーチを何も見ずに堂々と行っており、その姿はカッコよく、練習を積み重ねていることを感じた。
発表形式も日本とは異なり、評価者が発表者の目の前に机を並べて座っており、緊張感がさらに高まっていた。
発表の際の表現力が素晴らしく(ジェシュチャーや顔の表情)、私の大学で考えればここまでの発表をできる人は少ないと感じる。

発表の様子

英語の授業を一緒に受けた時
カンボジア大学の生徒は全員英語が喋れて流暢(上手)だった


カンボジア文化の体験
さらに、カンボジア特有のクメールダンスを披露してもらい、私も挑戦したが、かなり難しく柔軟性が求められるダンスだった。
また、カンボジアの伝統楽器にも触れる機会があり、カンボジア文化を肌で感じることができた。

クメールダンスの様子
私は体が硬くてかなりきつかった

カンボジアの楽器を体験


トゥールスレン虐殺博物館(S21)とキリングフィールド

1975年から1979年、ポルポト率いるクメール・ルージュはカンボジアで原始共産主義革命を試み、約300万人もの命が失われる大虐殺を行った。日本に例えると、4人に1人が殺されたという恐ろしい事実だ。

ポルポト


私は、その歴史の現場を実際に訪れた。

トゥールスレン虐殺博物館(S21)
元々高校だったこの場所は、ポルポト政権下でS21収容所に改造され、約2万人がここで拷問や尋問を受けた。
知識人狩りの一環として、医者や教師、学生などが理由も知らされずに収容され、過酷な拷問を受けた。自殺を防ぐために建物には有刺鉄線が張られていた。
私はこの場所を訪れている最中、鳥肌が立ち続けていた。
怯えた表情の写真や拷問の現場など、多くのものを目にし、やり場のない気持ちでいっぱいになった。

S21の入り口


自殺を防ぐための有刺鉄線
それほど拷問がきつかった


上り下りする運動に使用されていたものが拷問ように使われていた

様々な表情を目にした
このような写真がたくさんあった


キリングフィールド
S21で尋問された人々はキリングフィールドに移送され、処刑された。特に印象的だったのが、「マジックツリー」と呼ばれる木だ。この木にスピーカーが吊るされて音楽が流されていた。表向きは農業者を鼓舞するための音楽とされていたが、実際は処刑される人々の叫び声をかき消すために使われていた。
胸が痛んだ。
また、子供たちが木に頭を打ちつけられて殺された事実もあり、ポルポトは「雑草を取り除くなら根こそぎにするべきだ」と語り、子供たちまでが犠牲になった。
これは復讐を芽生えさせないためであった。

マジックツリー


現在、キリングフィールドには穏やかな風が吹き、鳥のさえずりが響いているが、その風景とかつてここで起きた悲劇とのギャップが、私に多くのことを考えさせた。

後ろに見える建物に犠牲になった人たちの頭蓋骨がたくさん保管されている

キリングツリー


トゥクトゥクドライバーとの出会い

これは、トゥールスレン虐殺博物館やキリングフィールドを訪れた日のこと。トゥールスレン虐殺博物館からキリングフィールドへ移動する際に、一人のトゥクトゥクドライバーと出会った。道中で彼とたくさん話をし、親しくなったところ、「今日は俺が1日、いろいろ案内してやるよ」と言ってくれた。15ドルという料金で本当に1日案内してくれるのか、少し不安もあったが、結果的にはそのまま案内をお願いすることにした。

彼は本当にその値段で、キリングフィールドやプノンペンの王宮、ワット・プノン(寺院)、さらにはボクシング観戦にまで連れて行ってくれた。彼との時間はとても楽しく、気がつけばボクシング観戦中に二人で酒を飲んでいた。

仲良くなったフランスの方と
選手との3ショット

ドライバーと一緒に乾杯

プノンペンの王宮
半ズボンでは入れないので
※注意してください


その後、彼は「俺の友達とも一緒に飲もう」と誘ってくれ、トゥクトゥク仲間10人ほどと一緒にお酒を楽しむことになった。カンボジアの人たちは乾杯が大好きで、何度も乾杯を繰り返し、その度にお酒を一緒に飲んだ。日本ではこれを「アルハラ(アルコールハラスメント)」と呼ぶかもしれないが(笑)、非常に楽しいひとときだった。

この経験を通して感じたのは、カンボジアの人々の優しさだ。単に親日というわけではなく、純粋に心温かい人が多いと強く感じた。


②コンポンチャム
コンポンチャムに行くきっかけは、遊学に向けてカンボジアのNPOやNGOを調べていた際、国際協力NGOのCBBさんを知ったことだった。CBBさんは英語と日本語のフリースクール、子供たちの集まる場所を提供しており、Instagramでその活動を観てぜひ訪問したいと思い、ダイレクトメッセージを送った結果、訪問が決まった。そこで出会った鈴木ゆうすけさんという方は、私に大きな影響を与えた人物である。

プノンペンからコンポンチャムに移動する際、ゆうすけさんも同行してくれた。移動手段は、8人ほどが乗れるハイエース型のバンであったが、驚いたのは、一度出発したにもかかわらず、乗客が足りないため、運転手が元の場所に戻り、乗客を集め始めたことだ。
このバンは走りながら人を拾っていき、定員に達しなければ運転手の収益が得られないため、出発が簡単にはいかない。気づけば、乗った地点より前に戻っており、時間に余裕がないときには非常に辛い状況だと感じた。
コンポンチャムに到着後、フリースクールがある村に向かう際は、バイクに3人乗りで移動した。道は非常に悪く、ガタガタしていたため、落ちそうになりながらも、前の人にしっかりとしがみついていた。
宿泊させてもらった場所には、私と同年代の大学生が3人おり、ボランティアとして来ていた。
カンボジアで同世代の高い志を持っている日本人と出会えたことに、非常に嬉しかった。

バンの中から見たバランスのいい人


CBBさんのフリースクール

フリースクールでは、基本的に朝8時から夕方まで子供たちが自由に訪れ、勉強したり遊んだりして過ごす。私が初めて目覚めた朝は、鳥の鳴き声と子供たちの声で目を覚まし、非常に新鮮であった。
勉強の時間は8:00~9:00、13:00~14:00、17:00~18:00と決められているが、状況に応じて変更されることもある。それ以外の時間は、基本的にみんなで遊んでいた。そこで感じたのは、カンボジアの子供たちは日本の子供たちと全く変わらないということだ。しかし、何が違うのかと考えたとき、それは単にカンボジアで生まれたか、日本で生まれたかの違いに過ぎないことに気づいた。日本では義務教育があり、勉強して就職するというレールがあるが、この村では中学校を卒業すると働きに出たり、一生を村で過ごすこと が一般的である。また、支援なども多いいことから、それに慣れて自発的になれていない部分もある。
CBBさんは、まずは子供たちに広い世界を知ってもらいたいという思いから、フリースクールに世界地図や地球儀、本などを置いている。また、子供たちは新しいものに対して非常に好奇心旺盛で、私が持参した大縄跳びを何度も使って遊んでくれた。バレーボールや鬼ごっこなど、彼らの元気の良さには圧倒された。

村に来て最初に友達になった2人


近くの小学校

フリースクールに通っている子どもたちが通う近くの小学校を訪問した。
その日はクメール語の授業を子どもたちと一緒に受けた。
私の隣に座っていた生徒が、まるで「僕と同じように書いて!」と言わんばかりに、身振り手振りで教えて、初めてのクメール語を書いてみた。この字を見返すと本当に懐かしく感じ、素晴らしい体験をさせてもらった。


昼食の時間には、男の子たち10人と一緒に、カンボジア名物の麺料理を食べた。様々な具材が混ざっているもので、子どもたちが食べ方を教えてくれた。
その際に食レポ対決をしたが、みんなの表現力は豊かで勝負するまでもなく負けた。


最後のお別れのときには、SMAPの『世界に一つだけの花』を歌った。
子どもたちはその歌を知らなかったと思うが、手を振りながら一緒に聴いてくれた。その光景に、感謝の気持ちと優しさでいっぱいになった。

歌に合わせて手を降ってくれる!

ありがとうみんな!


コンポンチャムでの印象的だった3つの出来事

コンポンチャムでの思い出を振り返ると、多くの出来事があったが、特に印象に残っているのは三つある。

1つ目は、スコールの中でゆうすけさんとタラさん(CBBで住み込みをしている18歳の方)と一緒にバレーボールをしたことだ。夕方5時ごろ、猛烈なスコールが降り始めたとき、ゆうすけさんが「一星、バレーをしよう!」と誘ってくれた。
最初は「お、マジかよ」と思ったが、ゆうすけさんが「こんな雨の中、泥だらけで裸足でバレーをするなんて、幼少期を思い出すよ!この本当の泥臭さが大事なんだ、一緒にしよう!」と言ってくれた。
実際にやってみると、幼少期を思い出し、泥だらけになることを気にせずに本当に楽しかった。
そこで感じたのは、泥臭さや飾らないことの大切さであり、この経験を通じて本当に大切なことを学べた。

スコールの中でバレー

牛の大群が朝と夕方に通る


2つ目は、そのスコールが降った夜の出来事だ。泊まらせてもらっていた家のハウスペアレントに「カエルを取りに行こう」と急に誘われ、一緒に出かけた。
雨の後なので、たくさんのカエルが姿を現し、大きいものから小さいものまで多く捕まえた。特に、大きなカエルを捕まえている現地の人の様子はとても刺激的だった。そして、なぜカエルを取るのかというと、次の日のおやつとして食べるためで、実際にいただいたカエルの味は魚のようで美味しかった。自分で捕まえたことにより、改めて命のありがたさを感じることができた。



3つ目は、シャワーや寝泊まりの環境だった。お風呂やトイレは日本とは全く異なり、詳細は説明しないが、日本から来た人はかなり驚くだろう。寝る時には蚊が多かったため、初めて蚊帳を使って寝た。エアコンもなく、かなり暑さを感じたが、蚊帳のおかげで蚊に刺される心配がなく、安心して眠ることができた。

初めての蚊帳

トイレ


こうして多くの非日常的な体験を通して、普段の生活を改めて見つめ直し、日々の生活に感謝する気持ちの大切さを強く感じた

衛生面の問題

コンポンチャムで特に問題だと感じたのは、衛生面である。
ゴミの分別は行われておらず、捨てる場所もないため、一箇所にゴミを集め、プラスチックや燃えるゴミなどすべてを一緒にまとめて山積みにし、それを燃やすのが一般的だ。その際に漂う有害な匂いは非常に強烈で、私には耐えがたかったが、地元の大人や子どもたちは慣れているのか、平然としていた。
しかし、これは健康に害を及ぼす大きな問題だと感じた。


また、ゴミを道端に捨てることにもあまり抵抗がないようで、ポイ捨ても頻繁に見られた。飲み物を買う際にも、冷えていない缶ジュースをプラスチックのコップに氷を入れて移し替え、カップを閉じてストローを差し、ビニール袋に入れて渡される。このような光景はカンボジアのどの地域でもよく見られるが、これによってプラスチックがいたるところに蔓延している。
これらの問題は改善できる余地が大いにあり、衛生面の向上が強く求められていると感じた。


下の写真は、フリースクールで子どもたちと楽しい時間を過ごし、志を持った人たちだ。
それぞれ日本から、自分の目的や理由を持って来ており、別れ際には「またどこか海外で会おう!」と言って別れた。
このような別れ方をしたのは初めてで、ボクも負けていられない!!という気持ちでいっぱいになった。


③シェムリアップ
シェムリアップは、カンボジアの第二の都市であり、プノンペンとは異なり、落ち着いた雰囲気が漂う。日本で例えるならば、京都のような印象を受けた。対照的に、プノンペンはごちゃごちゃしており、まるで東京のような都会的なイメージが強い。

シェムリアップで有名なパブストリート
観光客がたくさんいて様々なお店があり、ずっと探索できる場所だった


シェムリアップを訪れた理由は、世界遺産であるアンコールワットや寺院巡りを体験するためだった。
また、トンレサップ湖を巡るツアーにも参加し、カンボジアの観光層や地方の暮らしを見学し、さらにはインバウンドの視点を逆に考える機会を持ちたかったという背景がある。特に日本の地方ツアーと比較して、どのようにすれば地方を盛り上げることができるのかを探るためのヒントを得たかった。

さらに、現代の情報社会においては、感性が重要な要素だと感じている。そこで、シェムリアップでは自らの五感を存分に使い、現地の風景や文化を深く感じ取りたいと思った。
まさにこの写真のように、体全身を使って自然を感じることだこれからの時代、感性は重要だと考える


アンコールワットと寺院巡りの体験

アンコールワットは、ヒンドゥー教最大の寺院である。
朝5時に起きて、アンコールワットの遺跡を巡るためのチケットを購入しに行った。チケットは一日中遺跡を巡れるもので、価格は6000円。早朝にもかかわらず、チケット売り場には多くの観光客がいて、その後トゥクトゥクでアンコールワットへ向かった。


到着時はまだ薄暗く、アンコールワットが影の中に浮かび上がっていた。観光客たちは朝日とアンコールワットを一緒に撮影しようと、日の出を待ちわびていた。ずっと画面越しに見ていた『アンコールワット』が、目の前に現れた時、ボクは黙々と周りを見渡し、壁に触れてその温度を感じ、思いっきり息を吸って空気を味わい、他の観光客の様子を伺いながら、その場に本当に存在することを全身で感じた。もっともっと色々な世界を見たいという欲がさらに強くなった。きっかけをくれたアンコールワットには感謝しかない。

頭の中ではずっとエトピリカが流れていて、夢のような時間だった


その後は、アンコール遺跡群の王道ルートを巡り、一日中寺院を探索した。どの遺跡もそれぞれに特徴があり、まるで『天空の城ラピュタ』の世界に迷い込んだかのような感覚を味わった。


地雷被害者との出会い
アンコール遺跡を巡る中で特に印象的だったのは、あるエリアで地雷被害者による演奏が行われていたことだ。演奏を聴きながら、私は少しでも力になれればと思い、気持ちとして寄付をさせていただいた。すると、演奏者の方が「ありがとう」と声をかけてくれた。日本人だと名乗っていないのにもかかわらず、その言葉に驚いた。

また、その瞬間、自然と蝶が私の指に止まった。
地雷の被害を受けた方を目の前にしたのは初めての経験で、たくさんのことを考えさせられた。



トンレサップ湖とクーレン山ツアー

まず最初に訪れたのは、クーレン山へ向かう途中にあるココナッツを使ったスイーツの製造現場だった。ほぼ手作業で作られており、もちもちとした食感とココナッツの風味が絶妙で、とても美味しかった。


その後、クーレン山の中腹で広がる緑の絶景を目にし、新鮮な空気を存分に吸い込みながら、何も考えずにリフレッシュすることができた。さらに仏教のお寺を訪れ、お祈りの様子や横たわるブッダ像を見学した。左側に寝ている姿は起きている状態を、右側は眠っている状態を表しているという話も興味深かった。


その後、滝のあるエリアに行き、ツアーに参加していた他の外国人旅行者3人と一緒にカンボジア料理を楽しんだ。滝の迫力ある光景を眺めながら、異文化交流をしつつ、楽しいひとときを過ごした。

仲良くなった外国人の方々とピクニック

かなり迫力のある滝だった


午後にはトンレサップ湖の水上家屋を訪れ、カンボジアの文化に触れた。そこで暮らす人々は主に漁業で生計を立てており、その様子を間近で見ることができた。追い込み漁の様子を見て、昔、祖父としていたことを思い出し、魚を網から取り出す作業に苦労していたことが懐かしい。しかし、現地の漁師たちのやり方は非常に効率的で、「ああ、なるほど」と思わず感心した。この方法を祖父が見たら驚くことだろうと笑ってしまった。
トンレサップ湖の壮大さには圧倒され、その広さに驚かされた。また、カンボジアの川や湖が濁っている理由にも納得がいった。それは衛生面の問題だけでなく、地形的に高低差が少なく、水の流れが悪いことが原因で、結果的に水が溜まって濁るということだった。

水上家屋

魚を網から外している様子


これらの経験を通して、日本では見られないカンボジアの多様な生活様式や働き方が強く印象に残った。水上家屋で暮らし、日々の生活のために懸命に働く人々の姿は新鮮であり、その日を生き抜くために力強く生計を立てる様子が印象に残った。こうした生活スタイルや働き方を目の当たりにすることで、日本でもどのように活かせるかを考える良い機会となった。

トンレサップ湖

④バッタンバン
バッタンバンに到着後、まず2時間ほど散歩をして街を見て回った。プノンペンやシェムリアップと比べると、道路の整備は悪い状態だった。主に訪問予定だったのは半田アカデミーだが、新たな人との出会いによって、別の場所にも訪れることができた。

バッタンバンに来て最初に訪れた飯屋
印象的だったことは、この子のお母さんは全く英語ができず注文に困ったことだ
しかし彼女が英語をできたのでなんとか注文ができ、助かった


プノン・サンポー

プノン・サンポーはバッタンバン郊外にあり、コウモリが大量に飛び出す洞窟「バット・ケイブ」や、キリングフィールドの一部である「キリングケイブ」がある。また、山頂からはバッタンバンの街が一望でき、寺院もあるため、見どころがたくさん詰まった場所だ。


キリングケイブ(キリングフィールド)
山の入り口からキリングケイブまでは徒歩で約20分の道のりだ。多くの観光客はトゥクトゥクのドライバーや車で案内してもらうが、私は歩いて景色を楽しみながら登った。キリングケイブはポル・ポト政権下で処刑場として使用されており、約30メートルの高さから人々が落とされ、約1万人が命を奪われたという。また、近くには拷問の記録として残されている像もあり、ポル・ポト政権の悲惨さを改めて感じた。

登山中に仲良くなったカンボジアの学生
たくさん案内してくれて感謝


コウモリ(バットケイブ)
ここでは、夕方18時30分頃から約30分かけて、洞窟から400万匹ものコウモリが飛び出してくる。私が訪れた日はあいにくの雨で、雷も鳴っていたが、その光景が逆に幻想的な雰囲気を作り出していた。まるで写真のように神秘的で、いつまでも眺めていたくなる空間だった。観光客も多く、周囲はかなり賑わっていた。日本では体験できない貴重な経験だった。


バンブートレイン

バンブートレインは、カンボジアの昔ながらの乗り物で、エンジン一つで動いている。簡単に言うと、竹で作られた板に人が乗り、それをレールに乗せてエンジンで進むという、非常にシンプルな仕組みだ。特に印象に残ったのは、バンブートレインの折り返し地点にある休憩所での出来事だった。休憩所に到着すると、私たちのドライバーがすぐに横の川に飛び込んで涼んでいたのだ。彼だけでなく、他にも5人ほどが飛び込んでおり、バク転をして楽しんでいた。なぜそんなに余裕があるのかというと、このバンブートレインは通常の電車が通る時間を避けて運行しており、その電車を待つ時間だったからだ。


また、そこには手作りのブレスレットを売りに来ていた子供がいて、「私たちが作ったの」と1ドルで販売していたので、私も購入した。バリバリのビジネスウーマンで、その粘り強さには感心させられた。


半田アカデミー

バッタンバンの半田アカデミーには3日間訪問し、子供たちと授業を受けたり、ご飯を食べたり、サッカーをしたり、一日中一緒に過ごした。アカデミーは午前と午後の二部制で、午前の子供たちは11時まで授業を受け、その後ご飯を食べて帰る。午後の子供たちはその後に来て、ご飯を食べて少し遊び、その後授業を受けるという流れだ。


授業の内容は主に、英語、クメール語、コンピュータ、フットサルで、私も一緒に授業を受けた。特に印象に残ったのは、8歳の子供がコンピュータクラスでパワーポイントを使いこなし、プレゼン資料を作っていたことだ。3日目にはそのプレゼンテーションを見たが、前に立つと少し恥ずかしそうにしながらも、声を出してしっかり発表していた。スライドには凝ったアニメーションも使われており、とても面白く感心した。
日本で考えると、8歳の小学生がプレゼン資料を作って発表するのはかなり難しいことだと感じる。

パソコンの授業

英語の授業


また、英語の授業もあり、先生たちは英語が非常に上手く、外国人の先生もいるため、子供たちは英語に対してかなり前向きだった。フットサルの授業にも1時間参加したが、授業が終わっても2時間ぶっ通しでサッカーをしていた。疲れたが、闘志が燃え、本気でゴールを狙っていた。そして、改めて感じたのは、スポーツが最高のコミュニケーション手段であることだ。言葉がなくても自然にハイタッチや笑顔が生まれ、本当に有意義な時間を過ごすことができた。

フットボール or 頼もしい先生たち


半田アカデミーで特に印象的だったのは、先生たちが本当に楽しそうに授業をしていたことだ。子供たちとの会話にお腹を抱えて笑いながら、楽しげに授業を進める姿を見て、私も心が温かくなり、嬉しく感じた。
また、昼ご飯の時間には、私が子供たちにご飯をよそっていたが、本当にたくさん食べる。これくらいで十分だろうと思ってお椀に注いでも、子供たちはまだ入れてほしいと目で訴え続ける。
そんなにたくさん食べる子供たちに負けないよう、私もたくさん食べた。


3日間の小学校訪問で、特に印象に残ったのは、多くの子供たちがハグをしてくれたこと、そしてハグを求めてきたことだ。物や何かを教えてほしいというより、求めていたのは「愛」や「触れ合い」だった。これは私にとってとても新鮮で、心に残る体験だった。


こうして子供たちが笑顔で、楽しく学べる場所を創られた半田晴久さんの偉大さを感じ、私も世界中の人たちが笑顔で過ごせる平和な社会を実現するような人になりたいと強く思った。


Hope Of Children

こちらは、Ryokoさんという日本人女性が運営している孤児院で、私はバッタンバン最終日に訪問することになった。そのきっかけは、バッタンバンのパブで食事をしていた時、たまたま隣に座ってきた22歳の日本人、しょうようさんとの出会いだった。私より一つ年上で、カンボジアでボランティア活動をしているだけでなく、タイなどでも飲食店経験があり、世界中を旅している人だった。お酒を飲みながら話しているうちに、しょうようさんの話に触発されて私もモチベーションが高まった。そして、お互いに訪問先を紹介し合おうという流れになり、しょうようさんがボランティアをしていた孤児院、Hope Of Childrenを訪問させていただくことになった。

しょうようさん(右)

刺激的な先輩との出会い
しょうようさんからの紹介により、Ryokoさんが運営するHope Of Children(孤児院)に訪問できた


ここには小さな子供から高校生までがおり、この日は小学校と中学校が休みだったため、たくさんの子供たちが集まっていた。特に印象に残っているのは、14歳の男の子がギターを弾いてくれ、みんなで一緒に「カントリーロード」を歌ったことだ。子供たちが日本語で大声で歌い、その瞬間、私たちは一つになったと感じた。レゴやバドミントンをして、たくさん遊び、本当に楽しい時間を過ごした。

カントリーロードをみんなで歌った時


昼食の時間になると、高校生が授業を終えて戻ってきて、みんなで食事の準備をし、一緒に食べたり、ダンスを踊ったりした。最後には、子供たちがクメールダンスを披露してくれた。特に驚いたのは、高校生の女の子5人ほどが日本語を話せたことだ。これは、Ryokoさんが日本語の授業をしているためであり、さらに、毎年1回子供たちを日本に連れて行き、雪を見せているのだという。カンボジアでは雪が降らないため、子供たちにとっては初めての飛行機や雪体験がとても新鮮なものになるとのことだった。

みんなで昼食!

高校生の女の子たちがクメールダンスを
披露してくれた
カッコよかった


その後、私は16時頃にプノンペンへ戻るバンに乗るため移動したが、子供たちは皆で見送りをしてくれた。短い時間ながらも、とても濃密な時間を過ごせたことに感謝し、バンの中では別れの寂しさから涙を堪えていた。


HOC Café(Ryokoさんが運営しているcafé)
このカフェは、孤児院で育った方(高校生なども)たちが自立を目指して働く職業体験の場にもなっている。日本の料理も提供されており、特にお味噌汁を飲んだ時には感動した。このカフェは、カンボジアの子供たちの自立を支援する場として重要な役割を果たしてい
最高に美味しかった


終わりに

今回のカンボジア遊学を振り返り、最も言いたいことはカンボジアに「ありがとう」ということだ。

遊学中、ある日本人から「ボランティア活動は無責任だ」と言われた。多くの学生は長期滞在ではなく、1ヶ月、さらには1週間や2週間しかいない。その短期間で何ができるのか?何もできていないし、物をあげるのは日本に帰る際に子供たちにかえってマイナスになることもある。また、何かを教えるという行為も上から目線に見えることがあるし、学生がこの経験を”ネタ”にしているように感じるとも言われた。

この言葉を聞いた時、正直ムカついた。しかし、よく考えてみると、その通りだと感じた。

実際、私が何をしたのかを振り返ると、何もできていない。むしろ、カンボジアの人々や子供たちから愛や元気(エネルギー)をもらった。この遊学を始める時、私はこれがスタートだと思っていたが、そうではなかった。まだスタートラインにすら立っていなかったのだ。
これから日本に帰り、今から取り組むことが、ようやく0から1に進む時だと強く感じている。

また、カンボジアの人々が楽しそうに生活している姿を観て、私自身が日本で生まれ育った以上、日本のために貢献するべきだとも感じた。

今回の経験を通じて、たくさんのことを考え、感じることができた。
これからは、この経験を多くの人に伝え、挑戦を続けながら、愛と優しさを持ってできることに全力を尽くしていきたい。そして、それが私にとっての架け橋となるのだと信じている。

この素晴らしい体験をさせてくれたカンボジアに、心から感謝している。
そして、もっと成長してまた戻ってくることを誓う。

オークンチュラン(ありがとう)

謝辞

今回、カンボジアで素晴らしい出会い、貴重な経験や体験、そして未来に向けて多くのことを学ぶ機会をいただき、心より感謝申し上げます。
渡航に際しサポートしてくださった在福岡カンボジア王国名誉領事館の皆様、西日本新聞メディアラボの皆様、誠にありがとうございました。また、このプログラムを立ち上げ、支援してくださった半田晴久様にも、深く感謝申し上げます。
これからは、これらの経験を生かし、九州とカンボジア、さらには日本とアジアをつなぎ、生まれ育った日本をより笑顔あふれる国にするために精一杯取り組んでまいります。
本当にありがとうございました。

第13期生 山本 一星 九州共立大学経済学部

在福岡カンボジア王国名誉領事館

  • 開館日 月曜日~金曜日
  • 閉館日 土曜、日曜、日本の祝日
  • 開館時間 9時半~12時半

年末年始、ゴールデンウィークなどの特別期間は、その都度お知らせします。

開館時間 9:30~12:30
問い合わせフォーム