- 開館日 月曜日~金曜日
- 閉館日 土曜、日曜、日本の祝日
- 開館時間 9時半~12時半
年末年始、ゴールデンウィークなどの特別期間は、その都度お知らせします。
「文学の観点から、カンボジアを知る」これが今回半田スカラシップ・カンボジア遊学生第14期生に応募したときに私が掲げた原初のテーマでした。私は高校時代に文芸部に所属しており、高校3年間を通して短歌を含めた韻文形式の日本文学に造詣を持つようになりました。そして、韻文の市場が日本においていかに小さいか、日本の国語教育においていかに韻文に関する教育が欠如しているか、この2つを主軸とした危機意識のもと、私は大学入学後からは比較文学に軸足を置いて学修を進めていきました。
「先進国と発展途上国」「東アジアと東南アジア」日本とカンボジアには大きな背景の違いがあるように思えました。しかしその一方で、日本が戦争によってもたらされた破壊からもしたたかに日本文学を発展させてきたように、カンボジアもまた、ポル・ポトの知識人への弾圧による破壊的な変化の後に紡がれた連綿とした復興への努力により、独自のカンボジア文学観を発展させてきたのではと考えました。「復興」という観点に立つと見えてくるカンボジア文学と日本文学の共通点の可能性について具体的に検証するべく私はカンボジア遊学に参加しました。
遊学期間中に私は首都プノンペンそしてシェムリアップの二つの地域に滞在しました。その二つのうち、私が初めに訪れたのがプノンペンでした。
八月中旬の真夜中、プノンペン国際空港に飛行機が着陸するとき、何よりもまず夜景の明るさに驚愕しました。圧倒されたまま空港を出ると、目がチカチカするくらい煌々と道を照らすオレンジと青白い街灯、日を跨ごうとしているのにも関わらず空港出口で客引きのためにたむろっている運転手たち、父親を待つ母親とその隣でぐずって泣きわめく子どもたち、そしてなにより湿気を伴った東南アジア独特の香りと排気ガスのにおいが否応なしにまとわりついてきます。新興国の喧噪とはこうたるやを叩きつけられた入国でした。
シェムリアップもプノンペンも、運転・食・街並みなどから人間の底力を感じさせる街だという印象が強かったのですが、特にプノンペンは首都ということでそれに見合った活気を伴った街でした。一方でシェムリアップでは野犬だけでなくニワトリや牛が街のそこかしこに散見され、昼間の暑い時間帯にはハンモックで人々が思い思いに休んでいるなど、のどかな雰囲気が広がっていました。
雰囲気がどことなく違うプノンペンとシェムリアップでしたが、どちらの街にも共通して、優しくおっとりした人が多い印象でした。カンボジア滞在時、多くの寺院を参拝しましたが、カンボジアの仏像はみな明らかな微笑みを浮かべており、なるほどこういう所からもカンボジアの国民性を映し出されているなと感じました。シェムリアップのアンコールワット内にはヒンドゥー教と仏教が混在しており、異なる宗教を共存させることに抵抗感を示したり破壊に至ったりしなかった歴史には驚かされました。また、カンボジアに住む人々は特に日本に好意的な人が多く、これまでカンボジアに訪れてきた日本人の皆さんの行いの積み重ねの先に自分がいるのだな、と日本人として意識が芽生える機会になりました。
今回の遊学が決まった際、私は様々な出版社に「実際に現地で会ってカンボジアの文学シーンについて話す機会を頂きたい」という旨のメールを送りました。無茶ぶりの過ぎる問い合わせだったのにも関わらず、丁寧にリアクションを頂いたクメール作家協会・Avator出版社・Open Book Editionsの皆様、そして遊学開始から最後まで丁寧にサポートとアドバイスをいただきましたSipar出版社の皆様に感謝を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。
プノンペンの書店を訪れて最初に驚かされたのは、クメール語で書かれている本の割合の高さでした。なぜなら日本語話者が世界でおおよそ一億三千万人いる一方でクメール語話者はおよそ千五百万人であることから、話者数の多い英語もしくは旧宗主国のフランス語の作品も多いのでは考えていたからです。しかしながら、カンボジアにおいてクメール語話者の割合が極めて高いこと、高い母語以外の言語を円滑に識字できる層は高等教育を受けている一握りであることによって、クメール語の書物の需要が高くなっていることが分かりました。またこの現状を何よりも一番に支えているのは、カンボジアにおけるクメール語の識字率が八割と高いことが挙げられ、この数字は後発発展途上国の中では異質な状況とも言えます。実際にカンボジアにて識字教育にも力を入れるSipar出版社は図書館などが無い地方に移動式の図書館を派出しており、このようなNGO団体による支援や国際社会の支援の影響も強いのではと感じました。日本の識字率は百パーセントに近くカンボジアの数値とはかなり違いますが、「話者が広く分布せず一国に集中する言語が公用語」「識字率がある程度高く、公用語の出版物が大半の割合を占める」という共通点がカンボジアと日本にはあり、出版物のターゲットが世界ではなく国内に集中していることで一種のガラパゴス的な独自の市場発展を遂げる素地が整っている国であると感じました。
また、カンボジアの若い世代における本離れも問題になっているようでした。日本にも共通していることですが、SNSの発展などで娯楽の選択肢が広がったことにより、文学の需要が若年層を中心に減少しており、出版社はそれに対して漫画市場の拡大によってこの層にアプローチしている印象でした。しかしながら漫画大国の日本とは違い、カンボジアでは自国に漫画の作家を確保できていないことから他国の漫画を翻訳し輸入する形をとっており、まだまだ発展途上のジャンルであると感じました。
加えて、カンボジア文学において韻文市場の縮小が急速に進んでいるようでした。もともとカンボジア文学は韻文によって構成されていたらしく、あくまで散文形式の作品が台頭してきたのはフランスによる植民地化が始まって以降だったそうです。しかしながらそれ以降韻文の継承はほとんど行われなくなり、今はジャンルとして韻文が全く存在していない状況らしく、短歌や俳句・詩などの韻文市場が小さいとはいえ存続しており、新人賞などによって継承者の創出が成立している日本とはかなり違う状況であることが分かりました。
ポル・ポトによる独裁政治で掲げられた極端な原始共産主義に従って、都市住民や教育を受けた人々は反革命分子として標的にされました。それにより、作家・詩人・学者といった文学の担い手や知識人の多くが大量虐殺され、カンボジア文学界は世代を超えた継承を断ち切られました。文学を担う「人」そのものの消滅という壊滅的なダメージはいまだに色濃くカンボジア文学に残っています。日本でいうところの中堅~大御所作家の年代の作家が虐殺によって命を落としていることの影響は計り知れません。出版業界は文学のさらなる復興・新興に向けて焚書された文書の復元や新人賞の設立などを行っています。
ポル・ポトによる独裁の終焉からおよそ半世紀弱が経とうとしていますが、各出版社へインタビューをするなかでこの時代について質問した際は、必ず非常に重苦しい雰囲気が流れました。インタビュアーの方が言葉を詰まらせ、口を噤んでしまうことも多々あり、未だ深いトラウマとして人々の記憶に傷跡を残していることを深く実感しました。
「クメールルージュを後世に伝えていくために文学は必要不可欠だが、そのことによってクメールルージュは作家や関係者のなかで何度も反芻され、囚われてしまう」「だけれどやらなくてはいけない」沈黙ののち、日本という国で平和な時代を享受してきた私に語られたこの言葉を、日本に帰ってもなお忘れられずにいます。
今回の遊学の後半にはカンボジア大学にて講義に参加させていただきました。カンボジア大学の学生の皆さんは共通して英語会話能力が非常に高く、負けてはいられないと身の引き締まる講義ばかりでした。教授の方々、学生の皆さん共にとてもフレンドリーで、講義のことだけでなくカンボジアのおすすめスポットや日常についても沢山教えていただき、とても貴重でかけがえのない体験となりました。
カンボジア大学で過ごした中でとても印象に残っているのは、文系分野の専攻学生が大半を占めている点です。例えば私の在籍する九州大学では学生の七割が理系学生であり、その他の大学も工学部を始めとした多くの理系学部を抱えています。大学の職員の方に質問したところ、カンボジアでは軽工業が工業の主要部分を占めており、工業化が進んでいないために理系学部の需要があまり無いこと、そもそも理系学部を設立しようとすると研究費用などで高額の予算が必要になるために設立が難しいという現状があるとのことで、工業国の日本とそうではないカンボジアの違いを体感する機会となりました。また、大学を卒業したのちの進路として、ガイドなどの観光業への従事が人気であることにも衝撃を受けました。カンボジア大学の学生ほどの水準であれば、行政に携わったり、企業に就職したりするものだと考えていましたが、カンボジアの産業はいまだ発展途上であり就職口が少ない現状があるのだと知り、いかに日本の学生が恵まれた環境にいるのか身をもって知る貴重な機会になりました。
半田スカラシップ・カンボジア遊学を通して、「文学の観点からカンボジアを知る」という原初のテーマは、予想以上に深く、重い問いとして私の中に残りました。プノンペンやシェムリアップの賑わいと人々の柔和さの裏側に、ポル・ポト時代という巨大な断裂が存在していることを、各出版社へのインタビューを通じて痛感しました。
日本文学が戦争による破壊から復興を遂げてきたように、カンボジア文学の「復興」もまた、極めて困難な道程であることがわかりました。インタビューの終わりに投げかけられた言葉は、現地で平和を享受した私に、文学が背負う「真実の継承」という使命の重さを教えてくれました。
この遊学は、カンボジア文学がたどった「破壊と再生の物語」を追いかけると同時に、日本の平和な環境と文学が享受する「ある種の恵まれた状況」を自覚する貴重な機会となりました。この学びを、比較文学の研究テーマとして深化させ、より有意義な遊学経験に変えていこうと思います。
まず、本遊学に私を採用し、多大なご支援を賜りました在福岡カンボジア王国名誉領事館様、そして西日本新聞社様に深く感謝申し上げます。今回の遊学に採用されたからこそ、こんなにもかけがえのない体験を目一杯楽しみ切ることができました。
また、カンボジア大学での活動だけでなく、カンボジアでの生活に関しても気を配っていただきましたRathanaさんとその他の職員の皆さん、そして私を笑顔で受け入れてくれたカンボジア大学の学生の皆さんにも同じく感謝申し上げます。皆さんの暖かい気配りのおかげで、第二の母校を得た心持です。
急な問い合わせにも関わらず、丁寧にインタビューに応じ、カンボジア文学について惜しみなく私に教えていただきました出版社・作家協会の皆様にも改めて感謝を述べさせていただきます。誠にありがとうございました。本遊学の核心となる貴重な体験を積ませていただきました。
最後に、本遊学を支えていただいたすべての皆様に感謝を述べて本遊学体験記の結びとさせていただきます。本当にありがとうございました。またカンボジアに帰ってくる際にはもっと胸を張って交流できることを願って、日々研鑽を積んでいく所存です。
អរគុណច្រើន!
第14期生 長﨑 桃子 九州大学共創学部共創学科