半田スカラシップ・カンボジア遊学生企画 レポート

【第14期】未来へ架ける橋:時を超えたカンボジアとの絆

<遊学の狙い>

 私のカンボジアへの興味の原点は、浅野忠信演じる、映画「地雷を踏んだらサヨナラ」のモデルとなった大叔父である報道写真家・一ノ瀬泰造にある。彼がなぜ、26歳の若さで自らの命を懸けてまでカンボジアを愛し、その真実を追い求めたのか。その凄まじい「情熱」の根源を、彼の生きた土地の空気に触れることで理解することが、今回の「遊学」における最大のテーマであった。
私は、ポル・ポト政権による悲劇の歴史という一面的な知識に留まらず、彼が現地の人々に愛され、その日常に溶け込もうとしたように、カンボジアの人々が持つ生命力や文化の深さに直接触れたいと考えていた。歴史の悲劇を乗り越え、未来に向かって力強く歩む現代カンボジアの姿を、同世代の若者たちとの交流を通じて学びたいという強い思いがあった。
そのために、この遊学では二つの具体的な目標を掲げた。一つは、大叔父が眠る墓と、彼が命を懸けて追い求めたアンコールワットを訪れ、50年の時を超えて彼の魂と対話すること。もう一つは、カンボジア大学の学生たちと深く交流し、彼らの視点からカンボジアの「未来」を学ぶことである。単なる観光客としてではなく、彼らと同じ目線で生活の息吹を感じ、過去と現在、そして未来へと続く日本とカンボジアの架け橋の一端を担うこと。それが、私の目指した遊学の姿であった。

<体験・学んだこと>

ベトナム、カンボジア、タイを巡る今回の東南アジア周遊は、私の人生観を揺さぶるほど濃密な経験の連続であった。特に、本遊学の主たる目的地であるカンボジアでの日々は、大叔父の生きた時代と現代とが交錯する、思索に満ちた旅となった。

第一部:プノンペン - 光と影の交錯(9月7日〜16日)

1. 到着の夜、カンボジアの洗礼(9月7日)

 9月7日夜、ハノイからの便は少し遅れてプノンペン国際空港に到着した。上空から見下ろすプノンペンの夜景は、想像以上に光り輝いており、以前訪れた上海の夜景にも似たその発展ぶりに驚きを隠せなかった。トゥクトゥクで市内へ向かう道中、日本のものと酷似した信号機が並ぶ整備された街並みを目にし、この国の急速な近代化の裏に、日本の長年にわたる支援が深く関わってきた歴史を肌で感じた。
その日は、他の遊学生である福岡大学薬学部の康生君と九州大学共創学部の桃子ちゃんと合流し、お洒落なレストランで共に食事をする約束をしていた。彼らとの会話は刺激的で、それぞれの目的意識の高さに感銘を受け、これからの遊学への期待に胸が膨らんだ。しかし、その高揚感は、その夜、カンボジアが放つ強烈な光と影のコントラストによって、一瞬にして打ち砕かれることになる。
ホテルに戻り、少し街の空気を感じようと一人で外に出た。活気ある通りを散策し、異国の夜を楽しんだ後、ホテルへ戻る道すがら、それは立て続けに起こった。まず、クレジットカードで支払いをしようとした際、9.5ドルの会計が95ドルとして請求されそうになった。幸いその場で気づき指摘できたが、不信感が芽生えた。そして、その直後だった。歩きながらスマートフォンを操作していた私のスマートフォンを、背後から近づいてきたバイクに乗った男がひったくろうとしたのだ。咄嗟に強く握りしめたため、幸いにもスマートフォンを奪われずに済んだが、もし落としていたら間違いなく持ち去られていただろう。全身の血の気が引くのを感じた。恐怖に怯えながらホテルへの道を急ぐと、今度は路上で燃えていた焚き火に誤って足を踏み入れてしまい、火傷を負ってしまった。わずか1時間の間に起きた不幸の連鎖。この国の発展という「光」の裏に潜む、貧困や治安の悪さという「影」の部分を、到着初日にして痛烈に味わわされた。最悪のスタートだった。

2. 静かな準備と内省の日(9月8日)

前夜の出来事のショックは大きく、外に出るのが億劫になっていた。しかし、翌日はカンボジア大学でのプレゼンテーションを控えており、準備をしなければならない。私は気持ちを奮い立たせ、午前中にカンボジア国立博物館を訪れた。クメール美術の至宝が数多く展示されており、アンコール王朝時代から続くこの国の豊かな文化と芸術性の高さに深く感銘を受けた。静謐な空間で歴史的な彫像と向き合う時間は、前夜の混乱した心を落ち着かせるのに役立った。

ホテルに戻ってからは、翌日のプレゼンテーションの準備に没頭した。大叔父・一ノ瀬泰造について、そして私がこの遊学で何を伝えたいのか。何度も原稿を読み返し、言葉を練り直した。準備を進めるにつれて、前夜の恐怖は、この国をもっと深く知りたいという探求心へと、少しずつ変化していった。

3. カンボジア大学での交流と「未来への架け橋」(9月9日)

 9月9日、カンボジア大学を訪問する日がやってきた。前夜の出来事による不安はまだ残っていたが、この日の経験は、私の沈んだ心を大きく揺さぶり、再び前を向くきっかけを与えてくれるものとなった。
博物館のように壮大で美しい11階建てのキャンパスに足を踏み入れると、学生たちの学問への真摯な眼差しとエネルギーが満ち溢れていた。終日案内役を務めてくれたTharolinn氏は、常に笑顔を絶やさない温かい人柄と知性を兼ね備えた人物で、現代カンボジアの若者の象徴のように感じられた。彼は多くの学生たちから「ローリン」と呼ばれ慕われており、この大学で重要な役割を担っていることが窺えた。

最初の授業はクメール文化だった。教室では東ティモールからの留学生たちが、流暢な英語で18世紀から19世紀にかけてのカンボジア史について発表していた。タイとベトナムという大国に挟まれ、翻弄されてきた歴史を堂々と語る彼らの姿に、この大学の学術レベルの高さと国際的な環境を実感した。
そして、不意に私の発表の番が回ってきた。心の準備も不十分だったが、私は「未来へ架ける橋:時を超えたカンボジアとの絆」というテーマで、壇上に立った。スマートフォンの原稿を見ながらではあったが、私は自分の想いを、学生たちの目を見て懸命に伝えた。

まず自己紹介の後、私はこう切り出した。「Good morning, everyone. Today, I am honored to speak with you on the theme of 'A Bridge to the Future: A Bond with Cambodia Across Time.' 今日私が皆さんと分ち合いたいのは、もう一つの『架け橋』の物語です。それは、過去と現在をつなぐ、私の家族の物語です」。そして、大叔父・一ノ瀬泰造の写真を見せ、彼が報道カメラマンであったこと、1973年に26歳の若さでこのカンボジアの地で消息を絶ったことを伝えた。「He was a photojournalist. 彼は、皆さんと同じように、大学で芸術を学び、夢と情熱に溢れた一人の若者でした。彼の写真は、戦争の残酷さだけでなく、困難な状況の中でも生きる人々の温かさや、子どもたちの笑顔を捉えています」。
次に、彼がいかにカンボジアとアンコールワットを愛していたかを語った。「Taizo especially loved Cambodia and its symbol, Angkor Wat. その情熱は、プノンペンの屋台で見た一枚の絵葉書から始まりました。当初は野心もあったかもしれません。しかし、その想いは次第に、『ただ、純粋に、あの美しい遺跡を撮りたい』という芸術家としての探求心に変わっていきました」。そして、彼が友人に宛てた最後の手紙の一節を引用した。「If I take a great photo, I'll bring it to Tokyo. If I happen to step on a landmine, then 'Sayonara'!」。これは彼の覚悟と、少しおどけた人柄を表す言葉だと説明した。
そして、歴史を振り返り、彼の死がクメール・ルージュの悲劇が始まる約1年半前、激しい内戦の犠牲であったことを述べた。「The Khmer Rouge tried to erase culture, family, and even individual memory. その時代を思う時、泰造が残した写真の意味は、より一層深くなります。彼が撮った友人の結婚式、市場で笑う人々、無邪気な子どもたちの姿。これらは単なる記録ではありません。それは、奪われてはならない日常の尊さを写した、記憶の守り手なのです」。
最後に、私は学生たちにこう語りかけた。「Fifty years ago, the Cambodia my grand-uncle saw was a country covered in the flames of war. 50年前、大叔父が見たカンボジアは、戦火に覆われ、未来が見えない国でした。今、私の目の前にあるカンボジアは、活気に満ち、皆さんのような素晴らしい若者たちが未来を創っている国です。彼は、歴史の悲しい一章を記録するために、カメラを手にここに来ました。私は、平和な時代に、皆さんと共に希望に満ちた新しい一章を築くために、ここに来ました。過去の悲劇から学び、互いを深く理解し、手を取り合って協力していくこと。それこそが、私たちの世代が築くべき、新しい『友情と平和の架け橋』だと信じています。Thank you very much for your kind attention. Orkun Cheran.」。
発表を終えると、教室は温かい拍手に包まれた。学生たちは非常に真剣に耳を傾け、時に私のユーモアに笑顔で応えてくれた。発表後、多くの学生が私の元へ駆け寄り、インスタグラムの交換や質問を求められた。彼らが日本のアニメや文化に深い関心を持っていること、彼らの英語力の高さ、そして自国の未来を真剣に考え、それを担おうとする強い意志を持っていることを知り、心を打たれた。

その後も、Tharolinn氏によるキャンパスツアー、独特の文字や発音の難しさに苦戦しながらも笑いの絶えなかったクメール語の授業、体の硬い私には到底真似できない繊細で優雅な動きに伝統の奥深さを感じたクメールダンスの体験など、すべてが新鮮で刺激的な経験だった。彼らとの出会いの一つひとつが、まさに私が築きたいと願っていた「友情の架け橋」そのものであった。

4. 歴史との対峙 - 忘却への抵抗(9月10日)

カンボジア大学での感動的な一日を終えた翌日、私はこの国を理解する上で避けては通れない場所へ向かった。クメール・ルージュ時代の負の遺産、トゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドである。
元は高校であった建物が、生々しい拷問の場と化した博物館。独房として区切られた教室、夥しい数の犠牲者の顔写真、そして無数の頭蓋骨が納められた慰霊塔を前に、私は言葉を失った。わずか40数年前に、知識人、芸術家、果ては眼鏡をかけているというだけで、自国民の4分の1が殺害されたという事実に、人間の狂気とイデオロギーの恐ろしさを痛感した。音声ガイドから流れる生存者の証言はあまりにも痛ましく、正直、聞き終えたときには気分が悪くなるほどだった。
しかし、この計り知れない悲しみを乗り越え、驚異的な復興を遂げているカンボジアの人々の精神的な強さに、深い敬意を抱かざるを得なかった。ここは決して観光地ではない。この歴史の事実を知り、二度とこのような悲劇を繰り返してはならないと世界に伝えていく責任が、この地を訪れた者にはあるのだと強く感じた。大叔父が記録した内戦時代の日常風景は、この悲劇によって奪われたものの尊さを、静かに、しかし力強く物語っている。
 その後、紹介された東南アジア最大級のイオンモールへ向かった。フードコートで食事をした後、以前に偽札の50ドル札を渡されていたことに気づいた。とてもショックを受けた。

5. 嵐の前の静けさと、絶望の淵(9月11日〜14日)

 9月11日は体調を崩し、一日中ホテルで過ごした。
そして、運命の9月12日。事件は起こった。朝食を摂るためにホテルを出て、わずか5分後のことだった。突然、背後から猛烈な力でショルダーバッグを引っ張られた。原付に乗った二人組によるひったくりだった。抵抗する間もなく、私はバイクの勢いに引きずられそうになり、バッグを離すことしかできなかった。
犯人の顔を見ることもできず、叫び声をあげるまもなく、ただ遠ざかっていくバイクのテールランプを呆然と見送ることしかできなかった。
バッグの中には、この旅のために用意した現金14万円が入っていた。恐怖と、大金失ったという絶望的なショックで、その場にしばらく立ち尽くした。周りの人々は遠巻きに見ているだけで、助けてくれる人はいなかった。ホテルに戻ってからも手足の震えが止まらなかった。すぐに両親、カンボジア領事館、保険会社に連絡を入れたが、現金の補償は対象外であること、遊学の追加支援は難しいが、それでも頑張ってほしいという言葉に、目の前が真っ暗になった。用心していたつもりだった。それでも奪われた。自分の甘さと、この国の厳しい現実に打ちのめされ、もう立ち直れないとさえ思った。この日から9月14日の昼まで、私はホテルの部屋に完全に閉じこもり、ただ無気力に1日に15時間以上もスマートフォンを眺めて時間を浪費するだけの、抜け殻のような生活を送ることになる。

6. 人々の優しさとの再会、そして再生(9月14日)

絶望の淵にいた私に光を投げかけてくれたのは、カンボジア大学で出会った学生のObee君だった。9月14日の午後、彼からインスタグラムを通じて「週末限定のウォーキングストリートに行かないか」というメッセージが届いたのだ。ずっと落ち込んでいても仕方がない。このままではいけない。迷った末に参加を決意し、ナイトマーケットで彼と再会した。
ウォーキングストリートは大きなお祭りのような人の数と、お店の数、賑わいで、毎週末開催されていることにお驚きだった。彼の友人たちも紹介してもらい、3人で賑やかな人混みの中を散策した。彼らが日本のアニメを通じて日本語の単語をたくさん知っていることに驚き、日本のポップカルチャーが、遠いカンボジアの若者たちの心に届き、交流のきっかけとなっていることを改めて実感した。ライトアップされた王宮の美しさ、そして何より彼らの屈託のない笑顔と優しさに触れるうちに、私の心に固くこびりついていた不安や不信感が、少しずつ溶けていくのを感じた。Obee君の親切は、この国の「影」の部分に触れて沈んでいた私の心を温め、カンボジアの人々が持つ本来の優しさやホスピタリティを思い出させてくれた。この夜は、私にとっての精神的な再生の始まりだった。

7.プノンペン最後の夜(9月15日)

立ち直るきっかけを得た私は、プノンペン最後の夜を意義深く過ごそうと決めた。日中はカフェで宅建の勉強に励み、夜は評判のクメール料理店で、甘酸っぱく味付けられた牛肉と目玉焼きが乗った美味しい料理を味わった。その店で、日本在住のカナダ人男性と出会い、束の間、日本語での会話を楽しんだ。彼の親切にも助けられ、少しずつ人との交流を楽しむ心を取り戻していった。食事の後、私はライトアップされた独立記念塔まで歩いた。美しく荘厳なその姿を目に焼き付け、私はホテルまでの道のりを走って帰った。汗を流し、ホテルの屋上のプールからプノンペンの夜景を眺めながら日記を書く時間は、この街での激動の日々を振り返り、次なる目的地シェムリアップへの決意を新たにするための、大切な内省の時間となった。

第二部:シェムリアップ - 魂との対話(9月16日〜24日)

1. 大叔父の足跡を辿る巡礼(9月17日)

プノンペンからバスで6時間、アンコール遺跡群の拠点となる街、シェムリアップに到着した。この地での最大の目的は、大叔父・一ノ瀬泰造の足跡を辿ることだった。そして翌日、私は彼の墓まで自転車で行くという、今思えばあまりにも無謀で、しかし生涯忘れられないであろう選択をした。
往復40km。炎天下の中、片道20km近い道のりは想像を絶する過酷さだった。最初は楽しかったサイクリングも、10kmを過ぎたあたりから灼熱の太陽と疲労との戦い、苦行へと変わった。体力の消耗は激しく、「なぜこんな無謀なことをしてしまったんだ」という後悔の念に何度も駆られた。さらに、遠くで雷鳴が轟き始めると、後悔は焦りと不安に変わった。道が未舗装の赤土に変わり、森の中へ入った時、大きな銃を肩にかけた屈強な男性に遭遇し、恐怖で体が凍りついた。しかし、私が彼の名を告げると、その男性は「タイゾーか?」と頷き、静かに墓への道を指し示してくれた。50年という歳月が流れてもなお、この地の人々が彼の名を記憶してくれているという事実に、胸が熱くなった。
やっとの思いで辿り着いた墓は、広大な畑の中に、本当にポツンと静かに佇んでいた。激しい雨の中、墓石を前に手を合わせると、26歳という若さでこの地で夢と命を絶たれた大叔父の無念、そして彼が抱いていたであろうカンボジアへの愛情や写真への情熱が、時を超えて流れ込んでくるようだった。それは、私にとってまさに「魂との対話」と呼ぶべき、深く静かな時間だった。

その日の夕方、彼が生前通ったとされるレストランを訪れた。そこには「一ノ瀬泰造メモリアル」として、彼の写真や日本の曾祖母から送られた手紙が、驚くほど丁寧に保存・展示されていた。彼の存在がカンボジアの地で忘れ去られることなく、大切に記憶され続けているという事実に、家族として誇らしく思うと同時に、涙がこみ上げてきた。店の方にこのように保存してくれていることに家族を代表して感謝を伝えると、温かい握手で応えてくれた。この時、彼の情熱の根源は、アンコールワットへの芸術的探求心だけでなく、彼を愛し、受け入れてくれたカンボジアの人々そのものにあったのかもしれないと確信した。泰造の姉に当たる祖母に話すと、この事実を知らず、驚きながら涙して喜んでくれた。その後、食事をさせてもらい、泰造が愛したチャーハンとチキンをいただいた。日本人好みの味で、今日の自転車で疲れた私の体に染みた。この店を愛する理由が分かった。

2. 休息と、ささやかな挑戦(9月18日、20日)

大叔父の墓への過酷な旅の翌日は、疲労困憊で一日中ホテルで休んだ。そして9月20日、私は一度やってみたかった「海外で髪を切る」という、ささやかな挑戦をしてみることにした。評価の高い理髪店に入り、スマートフォンの写真を見せて注文した。言葉は通じなくとも、真剣な眼差しで丁寧にカットしてくれる理容師の姿に、職人としての誇りを感じた。大きな失敗もなく、異国の日常に少しだけ溶け込めたような気がして、満足のいく経験となった。

150円でおいしくて、
ほぼ毎日食っていたハンバーガー。

3. トンレサップ湖 - 生命の源泉(9月19日)

シェムリアップ近郊に広がる東南アジア最大の湖、トンレサップ湖を訪れるツアーに参加した。雨季で地平線の彼方まで広がる湖には、まるで一つの街のように水上家屋が浮かび、人々が生活を営んでいた。その特殊な光景は、人間のたくましさと自然との共生の形を物語っていた。ツアーガイドは元僧侶、そして警察官という異色の経歴を持つ人物で、カンボジアの歴史や政治、タイとの国境問題など、シビアな内容についても自身の見解を交えながら深く語ってくれた。フランス人の長身の夫婦や、よく喋るインド人のビジネスマンといった多国籍な参加者との対話も、多様な視点からカンボジアを理解する上で非常に有益だった。マングローブのジャングルを小舟で進む体験は、この湖が育む豊かな生態系と、そこに生きる人々の日常を垣間見る貴重な機会となった。元気いっぱいの現地の子供とも交流した。

4. アンコール遺跡群 - 文明の叡智と祈り(9月21日)

遊学の終盤、私はついにアンコールワットを訪れた。徹夜のまま、未明にホテルを出発し、朝日が昇るのを待った。カンボジアの祝日と重なったこともあり、夜明け前からお堀の周りは世界中からの観光客と地元の人々でごった返していた。雲が多く、誰もが想像するような完璧な日の出とはならなかったが、空が徐々に白み、荘厳な寺院のシルエットが水面に映し出されながら浮かび上がってきた時、私は言いようのない感動に包まれた。これこそが、大叔父が命を懸けてでも撮りたかった光景なのだと。彼が追い求めた理由にも納得がいった。

アンコールワットの内部は、その圧倒的なスケールと、石の壁一面にびっしりと刻まれたヒンドゥー教の物語の精緻な彫刻に、ただただ息をのむばかりだった。巨大な石をいかにして運び、これほどまでの芸術作品を創り上げたのか。クメール文明の叡智と信仰の力に圧倒された。その後訪れた、巨大なガジュマルの樹木が遺跡に絡みつくタ・プローム寺院は、自然の力強さと文明の儚さを見事に融合させた、まるで映画の世界のような場所だった。そして、アンコール・トムの中心に位置し、「クメールの微笑み」として知られる無数の観音菩薩像が並ぶバイヨン寺院もまた、それぞれ異なる魅力で私を惹きつけた。一日かけて遺跡群を巡る中で、私はクメール王朝の栄華と、それが内包する宇宙観、そして人々の祈りの歴史の深さに触れた気がした。

<展望>

この遊学を通じて、私は当初の狙いであった「大叔父の情熱の根源を理解すること」、そして「カンボジアの人々の生命力や文化に触れること」を、期待以上に深く、そして生々しく達成できたと確信している。ひったくりという暴力的な洗礼から始まったカンボジアでの日々は、しかし、それ以上に多くの人々の優しさや温かさに支えられた。光と影、その両面を体験したからこそ、この国に対する理解はより一層深いものになったと感じている。
大叔父・一ノ瀬泰造の物語は、もはや私の中で「過去の悲しい家族の歴史」ではない。それは、50年の時を超えて、私と現代カンボジアの若者たちとを繋いでくれた、生きた「架け橋」となった。彼のレンズが捉えた人々の笑顔は、クメール・ルージュという暗黒時代を経た今も、カンボジアの人々の中に確かに受け継がれていることを、私はこの目で見て、肌で感じてきた。
カンボジア大学の学生たちの、自国の未来を切り拓こうとする力強い眼差しは、これからの私の人生における指針となるだろう。彼らと出会い、語り合ったことで、私もまた、日本とカンボジアの「友情と平和の架け橋」の一端を担う存在でありたいと、心から願うようになった。
今後は、この貴重な経験を自身の言葉で周囲に伝えていくと共に、国際的な視野を持って物事を考え、行動できる人間になるべく、学業に一層励みたい。歴史の悲劇を風化させず、そこから得た教訓を未来にどう活かすべきか。報道とは、真実を伝えるとはどういうことか。大叔父が残した問いを、今度は私が受け継ぎ、考え続けていきたい。
そして、いつか必ず再びカンボジアを訪れ、友人たちと再会し、共に成長した姿を見せ合うことが、私の新たな目標となった。さらに海外のいろんな風景や文化を味わいたいという思いが強くなり旅は続けていこうとおもう。
この素晴らしい機会を与えてくださった半田スカラシップの関係者の皆様に、心より感謝を申し上げる。

第14期生 山内 一輝 西南学院大学 経済学部 経済学科

在福岡カンボジア王国名誉領事館

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